嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

新シリーズ「嶋恭作の簡単おつまみクッキング」スタート

新入社員、人事異動、単身赴任 などなど一人暮らしを始める事が多い季節になってきました。そこで「料理なんてした事ない」という人にも簡単に出来てバカ旨なレシピを紹介していくブログです。下記アドレスをクリックしてみてください。

 

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第75話: シャフラー買収劇(その2)-最終話-

最後の送別会でキス魔の呉松君と新人2年目の石坂さんと3ショット

2019年後半に入り買収の具体案は着々と進んでいた。しかし大きな障害がいくつかあった。

  • 尾左会長が反対していた。理由はシャフラー本部のアホなトップと同じ。ちなみに大腹社長は賛成派、社外取締役の安藤さんも賛成派。恭作を入れて賛成派3人,取締役総数は7人なのであと1人取り込めばなんとかなるが尾左派閥がどれくらい影響していたかは???
  • フランスのカレー工場(2013年に建て直し済み)はチェーン専用なので良さそうだが、それ以外の工場は全て動弁チェーン系以外の製造と同居していて切り分けられない。
  • 営業が他の部品と共通した人間がやっていて、誰も買収後残れない。
  • ITシステムも他の部品と共通していて、買収後新たに立ち上げなければならない。
  • 部品調達がシァフラー子会社、グループ会社からがほとんとで買収後同じ価格で買える保証が無い。

等課題が多かったが、確認できる所から潰していった。しかしもっと大きな障害が出てきた。

それは2020年春から本格化したコロナウィルス蔓延だった。シャフラー売却の目玉商品とも言えるフランスのカレー工場を見に行けなくなってしまったのだ。とにかく書類上の確認とお互い譲歩できる所はとことん詰めたのだが、工場を見ないで100億円近い買い物をする訳にはいかない。あとはカレー工場を確認するだけという所まで行ったのだが、橋本知恵院と一年以上粘り強くやってくれたエンジン事業トップのチェロキーさんが更迭され(多分「いつまで橋本知恵院とグスグスやっているんだ」とシェフラー本部のアホな金しか目に入らない連中にやられたんだと思う)いきなりファンド系(カテンシス)に売る事を決定したからこの話はキャンセルすると一方的通告があった。恭作としても実務的な話はまとまってきて、後はカレー工場視察と取締役会を通すだけと思っていたのに非常に残念だった。(この案件を取り下げて一番喜んだのは尾左会長だろう。コンベア系会社CX3買収に100億円以上を費し、未だに大赤字なM&A失敗案件と同規模の買収劇を恭作が成功させる所だったのだから)

このあとはロクな仕事もさせてもらえず退任となったのは皆様の知る所で、このブログもこれにてTHE ENDとしたい。書き始めた頃はまさか75話まで来るとは思わなかったけど長々とご愛読ありがとうございました😊

 

エピローグ:別のリポートでも書いているが、世間では猫も杓子もEVと大騒ぎになっていて、アホなトップを持つシャフラー等は動弁系チェーンビジネスを売ってしまった。しかし、そもそもEVをまかなう電力は世界的に足りていないしEVバブルは必ずはじけると思う。ハイブリッドカーとe-fuelの様な水素由来の燃料でクルマを動かすという世界はまだまだ数十年レベルで続くと確信している。内燃機関付自動車は不滅です、ご安心を(終)

 

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石坂さん、無許可顔出しごめんなさい🙏

 

第74話:シャフラー買収劇(その1)

シャフラー自動車ビジネス全体概要

橋本知恵院はエンジン用動弁システムでバルグワーナーとシェア1位2位を争っている。(どちらも自分が一位だと言っているが、第三者となった目で見るとどっちもどっちでカウントの仕方によって変わって来るくらい僅差だ)世界3位4位はというとiwis(第41~43話参照)とシャフラーだ。シャフラー自信は年商1.7兆円以上ある巨大企業で主にベアリングとか車両駆動系を扱っていて(写真参照)日本で言うとNTNとかNSKとかのイメージだ。何故その巨大企業が動弁系チェーンをやる様になったかと言うとややこしいストーリーがある。

元々動弁系がローラ(ブシュ)チェーンだった時代は橋本知恵院、iwis,RENOLDの3強があり、その下にフランスのSACHSというチェーンメーカーがあった。2005年にまずRENOLDがSACHSを買収、でも動弁系がサイレントチェーン化してそれを作れないRENOLDは持て余し動弁系チェーン事業(具体的にはフランスの元SACHSカレー工場)を売りに出した。橋本知恵院も何人かカレー工場まで足を運んだのだが、フランスの片田舎で赤字でボロい工場だったらしく降りた。そこで買いに走ったのがシャフラーだ。シャフラーは2005年位から独自にファインブランキングによるサイレントチェーンの開発を進めていたので食いついた様だ。買収後2013年に工場を建て直すほど投資をしたらしいが、結果的に2019年5月に橋本知恵院に動弁チェーンビジネスを売りたいと申し入れて来た。

この時最初に連絡を受けたのは恭作で、その数週間後に故大腹社長と砂糖功と恭作の3人で品川に出向き、シャフラーのエンジン部品事業部長のチェロキーさんと極秘に会っている。その概要は動弁系チェーンビジネスではたかだか年商300億円弱、エンジン部品事業から見て5%,シャフラー全体からみると1.5%程度の規模で、今後の電動化を考えると売却して資金を電動化ビジネスに回したいというシャフラー本部の意思決定があったそうだ。(現場を預かるチェロキーさんは非常に残念そうだった。橋本知恵院もそういう会社組織になって来たが、現場でビジネスを知らない本部の連中が目先の金儲けだけで訳の判らない意思決定をするという欧米型組織の典型的悪例だ。この辺りの話は裏の裏ブログでも書こうと思っている)

売り先候補は独占禁止法の関係でバルグとiwisには売れず(橋本知恵院は欧州でのシェアが低いので問題ないとの事)ちゃんと工場を運営していけるのは橋本知恵院だけだという事だった。橋本知恵院が買えないなら何処かのファンドに売るしか無いが、実務をやっている立場では残された者たちのことを考えるとそれは避けたいとの意思だった。条件次第では橋本知恵院にとってかなり美味しい話(=いきなりダントツのシェア世界一になる)で我々3人は大乗り気だった。

-いよいよ次回最終話-

第73話: HWTCと山元哲さんと呉松君

HWTCの定宿ハンプトンイン外観とWakky達が大喜びしたジャグジー付の部屋



第37話で書いた年に2回あるHWTCだが、恭作が帰任してからもまた毎年参加していた。特に5〜6月に行われる上半期の部は毎年US橋本のチコピー工場で行われるのでUS出張して参加となる。そこで海外経験の少ない若手技術者も多く参加させていた。若手と出張に行くと色々とエピソードがあって面白いのだが、最も印象的な出来事は呉松君のキス事件だ。多分呉松君がやり出したんだと思うが当時山王工場の飲み会で宴たけなわになって来ると若い連中がやたらチューをしたがる。相手が女性ならセクハラでアウトなのだが標的は上司など偉い人達だ。恭作も標的にされ、初キス(対男性)を呉松君に奪われた。慣れとは恐ろしいものでその後はWakkyとか布石君とか上海でも屋乃君とか、かなりの男とキスする様になってしまった。

一方で山元哲さんというのは恭作の一つ年上の本社役員でUS橋本の社長を兼務していたのでその時のHWTCに呉松君と同様に出張参加していた。歓迎の飲み会も終わりど田舎のチコピー周辺で二次会に行く場所もあまり無く、ホテルの恭作の部屋で飲む事になった。山元さんと呉松君の他にも宮字君とか出張者が何人もいたと記憶している。呉松君は山元さんとは初対面で、ちょうどM1になったか、M1試験を受けるところだったので人事も担当している本社役員である山元さんとそういう話題にもなっていた。さて宴たけなわになり呉松君のチューしたがり時間帯になった。最初は例によって恭作が標的になって盛り上がり、あっけにとられていた山元さんが次の標的になったのだ。この山王工場の無茶苦茶な文化に免疫の無い山元さんは抵抗し逃げようとしたが、ちょうどそこにあった恭作の空のスーツケースに仰向けにすっぽりハマり、仰向け亀状態で呉松君の洗礼を受けてしまった。怒った山元さんは「お前なんかM1昇格どころかJ2降格じゃ!」と叫んで大ウケした。山元さんは良い人なのでもちろん本気で怒ったのでは無く冗談だったのだが、ちなみにJ2という階級は存在しないと誰かに突っ込まれ再び大ウケしていた。

後日談としてこのキス攻撃は人を選ばないとヤバく、呉松君→砂糖功、Wakky→DANではマジギレされたらしい。お気をつけ下さい。

第72話: 上海裏事情その2

GPのすぐ近くにあるクラブ818

このブログもプロローグの話題(シャンパンタワー)に戻り、そろそろ終わりが見えて来た。あと少し(数話)お付き合い頂きたい。(裏の裏ブログはまだ続けていきます。)

前話登場のカラオケクラブGPだが、鳥薗君もお気に入りの娘がいて(何と非番でも鳥薗君が呼ぶと私服で駆けつけるという仲だった)、他の駐在員や恭作もお気に入りだった。駐在員の松上君が初めてGPで指名した娘と結婚したのはあまりに有名だが、恭作も何回か行くうちに好みの娘が出来て毎回指名していた。確か彼女の番号は237番だった。

天津とは違い店側は店外の事にタッチしないし、上海は結構当局の規制や監視が厳しいと聞いていたので出張者は普通に日本のクラブと同様に楽しく飲むだけだと思っていた。駐在員ならそのまま恋愛に発展する松上君のパターンもあるのだが(そう言えば今も自動車事業部の中に松上君以外2人も上海の娘と結婚した元駐在員がいる。2人ともその時は妻帯者で離婚までした)、たまに来る恭作の様な出張者には無縁の事だと思っていた。ホステス側からも(少なくともこの237番の娘は)誘ってくる様な素振りは一回も無かった。

ところが何回も指名しているうちに情が湧いてしまい且つ何かお互い盛り上がって来たように感じたのでダメ元で店外デートを誘ってみたらすんなりとOKをもらい・・・❤️

それから何回かプライベートで会ったりしたが(天津の時の様な時間差移動作戦で:第69話参照)、その後彼女は体を壊して田舎(貴州)に帰ってしまった。Wechatがつながっていた数年前までは貴州で元気にしているのを確認出来たが現在は???

237番がいなくなってしまった後はその近くの818というクラブに行く様になった。そこでお気に入りになって指名した娘を知って上海に田舎から出て来る美人さんの本音が明らかになった。その娘は明らかに金目当てで、しかも同局の監視が厳しくなって来たのでなるべく日本でのデートで荒稼ぎしたいというパターンだった。松上君の様なパターンは彼女達にとって’上海ドリーム’で理想形だが、需要の問題なのだろうか駐在員狙いでなく出張者狙いに変わってきたのかもしれない。この頃は数千元出せばパスポートが取れたらしくその娘もパスポートを持っていた。一度いきなり埼玉で仕事中の夕方に彼女から電話がかかって来て「今横浜にいるの。今日会えない?」だった。恐らくは何処かの日本人が彼女を呼んで会っていたんだろうが、日程が余ってもう一稼ぎしようとでも思ったんだろう。当然どこでもドアでもない限り物理的に横浜までは行けなかったので断ったが、少なくとも往復航空券と宿泊費と「お小遣い」はその日本人からもらっている筈だ。恭作は上海市内でたかられた程度で済んで良かったと思い、その後818は行っていない。また、237番はそれに比べれば良い娘だったんだなあとつくづく思った。

第71話:上海裏事情その1:壱川さんとの約束と上海総経理人事

鳥薗君お気に入りのGP(Garden Palace)

恭作が山王工場に帰任する直前に壱川元専務(この時は上級顧問)が個人的に送別会(と言っても2人だけ)をやってくれた。その酒席で懇願されたのはプロローグで書いたシャンパンタワーを注文した上海総経理の鳥薗君を精機事業に返してくれというものだった。精機事業から自動車に移って来たのは黒河夫妻もそうだが彼らの方が古く、鳥薗君は一回US橋本の精機事業担当駐在員になり、その時の小宮崎さんとの縁で自動車に来たのだ。そして橋本UKの駐在員を経てちょうど恭作が自動車に帰るタイミングで上海総経理で駐在する事になっていた。壱川さんの言う所の理由は精機事業の幹部職で英語が堪能な人材はゼロで、この国際化の世の中でそれはまずいという事だった。全社的に見ればその通りで基本的に納得したもののこのタイミングでは無理なので少なくとも駐在最低期間3年は待ってくれと返事したが本当に3年後約束を守る自信は無かった。

鳥薗君が上海の総経理になった頃は中国自動車市場の急成長期で、日本や中国の外勢先から調達して多少の付加価値を付けて(組み立てなど)売るという商売で高利益を得ていた。しかし3年後はその成長度合が止まり、在庫を増やす事で高利益になっていたカラクリが明らかになり、且つ総経理は製造に余り関心が無く製造品質(組み立て)は最悪で品質クレームが多発していた。流石に恭作も「これはまずい、諸悪の根源は総経理にある」という周りの意見に納得して例の3年前の約束を実行する事により、すんなりと鳥薗君を帰国、精機事業に移動させる事に成功した訳だ。代わりの総経理は製造畑の和打君にお願いした。この人事は大成功して上海の品質は格段に良くなった。

ちなみにプロローグのシャンパンタワーは鳥薗君が自身で企画した本人の送別会の2次会での事で、この時新総経理の和打くんと董事長の恭作は別の所で食事していた。たまたま二次会で行ったGPというカラオケクラブに鳥薗君も来ていて和打君と恭作が無理矢理合流したのだった。-続く-

第70話:チェコ工場新設

チェコ工場建設前 奥に見えるのがトヨタの工場

プラハ市内 モルダウ川とプラハ

コリン市長室の恭作(契約時)

 

前々から欧州に本格的製造拠点を大陸側で持ちたいと言う計画はあったが、リーマンショックやらその後の恭作の京棚部転勤などで話は進んでいなかった。これも恭作が自動車に帰った途端に検討が開始された。(いったい前任者は何してたんだ?)

場所(国)の大まかな検討はBART(橋本UKの社長)により済んでいて、人件費やらアクセスやら国民性やらでチェコに狙いは絞ってあった。のでこれも2014年の9月に土地の候補を数ヶ所巡る出張に出かけた。海外子会社工場建設に何箇所も関わると分かるのだが、日本人駐在員の重要性とその人達の為の生活環境はかなりの優先度上位項目だ。その時に回った候補地の中でプラハから通勤可能なコリン市は随一の日本人駐在員にとって良い環境だったし、トヨタの工場が隣でユーティリティ(電気、水道等)整備もちゃんとしていたので迷わずそこに決めた。ちなみにプラハクラシック音楽の聖地でもあり、その他観光スポットも多く欧州各地から観光客が数多く訪れていた。写真に写っている橋の上ではバイオリンや管楽器を奏でるストリートミュージシャンも多く、観光も含めて出張者にも抜群の環境だと思った。この時一緒に旅したのは内打君、BART,通訳として橋本UK品証のペトラ(チェコ出身)だったがBARTとペトラは後に結婚した。ペトラにはチェコ新会社のかなり上層部就任をオファーしたが固辞されてしまった。せっかく地元に錦を飾れるのにと思ったがそういう事か!ということはこの時は既に・・・?(詳しくは裏の裏ブログで)

工場建設は急ピッチで事は運び約一年後の2015年秋に竣工しているが、主席駐在員=社長選びは二転三転色々あった。元々は内打君を社長に置きたかったのだが彼は欧州駐在を既に長い事やっていたので今度はアジアに行きたいという本人希望もあり、ちょうど任期を迎えそうな二代目早史社長の次のタイ社長にという事でまとまりかけていた。そしてチェコは製造主体の会社という事で英語は出来ないが井之上君が候補となった。しかし新しく会社を設立するにあたり地元コリン市との付き合いや手続き、橋本ヨーロッパとのやりとり(チェコ工場は橋本ヨーロッパの子会社という位置でその社長は現地人のFRANKで日本語は話せない)がMUSTで実務上井之上君は無理というクレームが欧州側から出た。恭作もその意見に納得して内打君が社長という結論になった。内打君はちょうど再婚した所で、奥さんの希望もタイよりチェコだった事もあり本人も納得した。(この奥さんはチェコでブログを立上げ、観光にも詳しくて出張時大変お世話になった)

井之上君にはタイ社長という選択肢もあったがちょうど空が出た技術部長になってもらった。この人事は決定した恭作本人もちょっと疑問に思っているが他に適材がいなかったのでしょうがない。タイの早史さんの任期は更に延長になりトータル10年間頑張ってもらうことになってしまった。