嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧

第39話:トランスファーケースチェーン(パワードライブチェーン)その2

米軍横田基地とホットライン電話器 第29話で書いた様に1997年頃関西技術のドンこと兼平さんが埼玉に単身赴任してきたのだが、それはパワードライブチェーンの開発を強化するというミッションだった。しかし第28話で書いた様にあまりに酷い組織だったのを見る…

第38話:トランスファーケースチェーン(パワードライブチェーン)その1

幻となったオートマ用プライマリーチェーン どういう経緯でパワードライブ(いわゆる車軸の動力に関するチェーン)をやることになったかは恭作の担当外だったので定かではないが、CVT用のチェーンをやろうとした事は覚えている。日産やスバル辺りをターゲット…

第37話:HWTCとキャプテンモルガン

冨士原さんお気に入り?のキャプテンモルガン 恭作が帰任して数年後(DS課長時代)からHWTC(ハシモトWorld Technical Conference)という世界技術会議が始まった。この頃はまだタイにも中国にも子会社を設立していなかったが、北米-欧州間ではOPEL-GM, JAGUAR-F…

第36話:あの頃のみんな(1990年代後半~2000年代初期)

あの頃恭作が必ず新谷君とカラオケしていたラブマシーン 恭作が帰国してから6〜7年はベルト→チェーンの激動期でこの30年近くの戦争?(オセロゲーム)はチェーンの逆転勝利が決定的になった時期だった訳だが、あの頃その後偉くなった人達とかは何をしていたん…

第35話:ホンダのチェーン化(その2)

ホンダ初のチェーン採用量産エンジンK20A搭載車ストリーム(2000年発売) N氏の代わりに動弁機構開発担当になったのはI氏である。この方はN氏とは打って変わってとてもリーズナブルで物分かりの良い方だった。(今やホンダの役員である)1997年に発売された初代…

第34話:ホンダのチェーン化(その1)

ホンダのチェーン化第一号S2000(1999年発売) 欧州での動弁機構へのタイミングベルトの採用はメジャーなクルマでは1969年頃からフィアットが、1973年頃からVWが行ったのが始まりの様だが、日本では1972年にホンダがライフとシビックに採用したのが始まりだ。…

第33話:サイレントチェーンの開発と受注(今回は真面目な技術話)

橋本知恵院製初のサイレントチェーン採用の日産サニー 話は少しさかのぼるが、ちょうど恭作がアメリカに赴任した頃から各カーメーカーでサイレントチェーンをタイミングシステムに採用しようという動きが出ていた。バイク好きならその静かさは承知していたの…

第32話:韓国プロジェクト(その2)

世にも珍しい大宇の直6横置きエンジン搭載のMagnus リンさんが交通事故で重傷を負って入院している頃、朝立君は担当を外される直前の韓国出張時にお見舞いに行ったそうだ。その時の話ではとても歩ける様にはならないだろうという悲観的ものだった。このお見…

第31話:韓国プロジェクト(その1)

ミュンヘンのビール祭りOctober Fest.. 韓国プロジェクトがスタートしたのは恭作が帰任した1996年の事だった。橋本韓国の現地人代表理事リンさんがまだ成林機械という現代自動車の1次サプライヤーの役員をやっている頃だ。現代自動車に強い人脈を持つリンさ…

第30話:DS課と酒と慰安旅行

14代に次ぐ推し酒正雪と黒旗くんのグランビア 1990年代後半、トヨタ及び日産のチェーン化に加え、ホンダのチェーン化、韓国ビジネスのスタート、北米ビジネスの維持拡大、欧州拡大等ベルトvsチェーンのオセロ盤がひっくり返る真っ只中で無茶苦茶忙しかった一…

第29話:伝説の酒呑み集団DS課誕生

当時大ブレイク前でDS課飲会定番の十四代本丸 恭作が帰任して一年余り経ってから上層部に大きな組織変更があった。さすがにこのままではマズイと誰かが思ったのかは定かで無いが、これでタコな組織の雰囲気が一変した。恭作がアメリカ駐在時代にUS橋本(シカ…

第28話:タコな組織

トヨタ量産車チェーン化第一号1ZZ搭載のビスタ 1996年頃動弁機構のチェーン化は順調に進んでいたが、(トヨタはこの頃動弁機構のチェーン化を本格的に進めていて1997年発売の初代プリウスNZエンジンを皮切りに1998年にZZ,2000年にAZと主流4気筒エンジンを次々…

第27話:帰任

恭作お気に入りだったブルSSS 1996年4月恭作は帰任した。この頃は帰国途中にハワイ等経由地に寄って行く事が許された(赴任ご苦労様の意味もあったのだろう)のでホノルルに数日滞在してから帰国した。飛行機賃は変わらないし、宿泊費などは自腹を切るので良い…

第26話:Richとバイクとマッスルカー

ダッジチャレンジャーとハーレーVR1000 恭介より3~4歳若いRichだが数年前に完全リタイアしている。そのRichから恭介のある送別会にビデオレターが届いた。それによると元々趣味だったバイク(30年位し前に手に入れたドカティ750F1はまだ乗ってるとの事)に加え…

第25話:悲喜交々の北米駐在員生活-4

ストリップ小屋アンソニー ボリヨーク、チコピー域は田舎だ。牧場も多いので日本で言えば北海道のそれも都市部で無い所と言った感じだ。11月から3月いっぱいの5ヶ月間は雪に閉ざされつまらないが、4~10月はゴルフ、BBQなどアウトドア天国だ。ただ、モールな…

第24話:あの頃のみんな(1990年代中盤)

Richと欧州駐在の内打君を仕事で訪ねた そう言えばこの頃、その後自動車で活躍した人は何をしてたんだろう? タイの社長だった小宮山さん、林さんはそれぞれ欧州、カナダ+シンガポール駐在を経て海外事業部にいた。自動車統括にまでなった砂糖功君も一般産…

第23話:悲喜交々の北米駐在員生活-3

月1のカラオケ集会@南の館 この頃は山王の自動車事業部も関西の一般産業事業部も北米現地化の山場で両事業部からボリヨーク工場にそれぞれ5~6家族、計10~12家族が駐在していた。自動車の主席駐在員はデトロイトから移動してきた小宮崎さん、関西からの主席…

第22話:悲喜交々の北米駐在員生活-2

月1行ってたBOSTONの日本食材スーパー 昼食をどうするかは駐在員にてとって一つの課題だった。’たまには良いが、毎日の様に日本人同士でランチに行くと現地人とのコミュニケーションもおろそかになるし、せっかくアメリカに来てても英語が上達しない’そうア…

第21話:悲喜交々の北米駐在員生活-1

社有車カプリス まず赴任に際し、日本人のファーストネームはアメリカ人にとって覚えにくいし、発音しにくいので、何かニックネームを付けろと海外事業部の人間から言われた。当時憧れのプロゴルファーだった中嶋常幸がアメリカでトミー中嶋で通用していたの…

第20話:チェーン化大逆転劇~海外カーメーカー編4(北米-3)

PV6搭載のOldsmobile AURORA GMの2大プロジェクトがアメリカ現地化を含めて量産化していった1990〜93年頃はそろそろトヨタなど国内カーメーカーも本格的にチェーン化の計画が進みはじめていて、山王工場の技術部は大忙しだった。ベルト一辺倒だった人員配分…