嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第29話:伝説の酒呑み集団DS課誕生

当時大ブレイク前でDS課飲会定番の十四代本丸

恭作が帰任して一年余り経ってから上層部に大きな組織変更があった。さすがにこのままではマズイと誰かが思ったのかは定かで無いが、これでタコな組織の雰囲気が一変した。恭作がアメリカ駐在時代にUS橋本(シカゴ)の社長だった大宮崎さん(2人目の尊敬する先輩:身長も大きいが人間も大きく細かいことは気にしない、アメリカ生活も長く英語力も凄いという恭作が憧れていた存在)が帰国して自動車事業部長になった。そして更に関西では自他共に認める技術のドンこと兼平さんが山王工場に転勤し自動車の技術部長になったのだ。兼平さんはこの頃まだ量産前のパワードライブチェーンの開発で数年に渡り自動車に係わってきたので何が問題なのか良くご存知だった。’、弾作り、弾込め、弾撃ち’という3層構造の組織を提案し、弾撃ちをDS(ドライブシステム)課と名付け恭作を課長とした。(弾込めはSK(商品開発)課、弾作りは研究課)この時にベルト技術課は消滅してSK課に吸収された。ついに新規ベルトエンジンの開発計画がほぼ途絶え、橋本知恵院としてようやくベルトに見切りをつけたのだ。中窪君もこの頃豊田営業所に異動になり、チェーン化の為の営業・技術担当となった。。

因みにSK課長は井之上幸三君、冨士原さんは研究課長を担当し、技術部長だった南折さんは本社品質担当に、尊敬する太門さんは橋本鋳工社長に異動になった。またこの時に海外事業部が解散となった。

このDS課は恭作の会社人生で1,2を争う楽しい時代だった。メンバーが凄い。恭作、熊蔵、黒旗、橋元、河乃、子西、Mac砂糖、伊東キムちゃん、その後タイ駐在した福打、ベルトから移動してきた宮字、数年前に工場他事業部からベルト技術に移動してきた伝説の宴会男村汰、同じく他事業部出身の小森ちゃんに大場君、パートから準社員になった並樹さん、新人の新谷君等等だ。これだけのメンバーが揃うと何が楽しかったか想像できるかもしれないが詳しくは次話で。