嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第30話:DS課と酒と慰安旅行

 

 

14代に次ぐ推し酒正雪と黒旗くんのグランビア

1990年代後半、トヨタ及び日産のチェーン化に加え、ホンダのチェーン化、韓国ビジネスのスタート、北米ビジネスの維持拡大、欧州拡大等ベルトvsチェーンのオセロ盤がひっくり返る真っ只中で無茶苦茶忙しかった一方でDS課メンバーはよく飲んだ。元加治の鳥吉、小手指十四代置いてる居酒屋等を軸にしょっちゅう飲んでいた。歓送迎会や忘年会等を除くと自然発生的飲み会が多かったのでDS課員以外にも酒好きは自然と集まった。

この頃はもう職場で一泊慰安旅行なんて誰もやってない時代だったが、DS課は課員から慰安会やりましょうという声が上がり、バスなど使わずに自家用車数台で希望者だけで行こうという事になった。この慰安旅行は大受けで結構な高参加率で少なくとも3年続き、伊豆や静岡、最後はフェリー(往)と飛行機(復)を使って八丈島まで行った。クルマで行く時は山王市を出て圏央道中央高速から河口湖方面に入った先のリニア線のカードを潜った所での宮字君の乾杯の発声(リニアに乾杯!)で缶ビールを開けるというのが慣わしとなった。黒旗君所有のグランビア(アルファードの前身、写真参照)はこの慰安旅行で大活躍した。静岡への旅行の時は飲み会で十四代に次ぐ人気だった正雪の蔵元まで行った。

また飲み会で1番印象的だったのは小手指の居酒屋(十四代、正雪をはじめとして今では稀少な日本酒を常時100種類近く置いていた伝説的居酒屋。KLMの元パーサーとCSの夫婦が経営していて常連の恭作とも仲が良かったが人気絶頂期の2003年頃に突然閉店した)での大宴会だ。DS課メンバーだけでなく当時事業部長だった大宮崎さん、当時技術部長だった冨士原さん、当時営業課長だった山仲さんなど錚々たるメンバーが参加して総勢25人位の宴会になった。十四代をはじめとした銘酒一升瓶が11本空いたのは忘れられない。5000円会費だったのだが、足が出たのは当たり前で幹部職の追徴金が7000円、部長以上が1万円となり、幹事だった村汰君は’追徴金が会費の倍ってどういう事やねん!’と冨士原さんから切れられていた。大宮崎さんは上機嫌でニコニコしていただけだったが。(流石尊敬する先輩)

ところで冨士原さんが技術部長になったのは兼平さんが役員になり関西に帰る事になった後釜人事だが、この時恭作はある上層部の人から’技術部長はHとFどっちが良い?’と聞かれ’どっちも嫌だけど2択ならFのほうがましです’と答えた。HもFもベルト畑で恭作と余り関わりあいが無かったのだがHはこの時管理部長になっていてやたら細かくて嫌気がさしていたので消去法でそう答えたのだった。