嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第28話:タコな組織

トヨタ量産車チェーン化第一号1ZZ搭載のビスタ

1996年頃動弁機構のチェーン化は順調に進んでいたが、(トヨタはこの頃動弁機構のチェーン化を本格的に進めていて1997年発売の初代プリウスNZエンジンを皮切りに1998年にZZ,2000年にAZと主流4気筒エンジンを次々とチェーン動弁エンジンを量産する事を決めていた。一次バルグワーナーのサイレントチェーン採用に傾いていたが、耐久試験でチェーン伸びクライテリアを満足できず橋本知恵院製05Eシステムが逆転採用となり、現在までその流れで一部併注チェーンを除いてトヨタ車の動弁機構をほぼ独占している。この受注に関しては恭作の留守を守った熊蔵君と営業に回った筒美さんの功績が大きい)その組織は酷かった。恭作の数少ない尊敬する橋本知恵院先輩(ちなみに3人しかいない)の1人である太門さんは何故か関西本社に飛ばされ(しかも全社品質担当という訳の分からない名目で)、師匠の荻野谷さんも後述するサイレントチェーン開発プロジェクト担当となりラインをはずされていて、その後管理部に移動させられた。いわゆる太門―荻野谷―恭作というチェーン技術正統ラインが無くなってしまったのだ。(今から考えると、かなり上の人達の好みと人脈で太門一派を消滅させようとしていたのでは?と勘ぐりたくなる程だ)そのため技術部長になった南折さんが製造から引っ張って来たIとYの2人を故村乃課長の後釜に指名していた。恭作から言わせればこの2人はチェーン動弁技術としてはど素人で(多分熊蔵君達若い連中もそう思っていたに違いない)頼りにもならない上司が幹部職面しているだけという感じだった。トヨタも受注は確定したがこれから立上げ準備という段階、日産はせっかくて全てのエンジンの06Eチェーン化が終わったのに今度は全てサイレントチェーンに変更しようとしていた大事な時期であったのにだ。トヨタと日産のチェーン化を独占出来ればオセロゲームでいえば4隅を取ったようなもので全てがひっくり返って世の中ベルトが無くなってチェーンになると確信していた恭作はとにかくIとYは無視して実質チェーン技術部隊の陰のリーダーとして暗躍する事にした。この時はまだベルトが全滅すると世間一般では思われていなかったので橋本知恵院内も冨士原さんが課長でその下に宮字君、中窪君という構成のベルト技術部隊だった。