嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第31話:韓国プロジェクト(その1)

ミュンヘンのビール祭りOctober Fest..

韓国プロジェクトがスタートしたのは恭作が帰任した1996年の事だった。橋本韓国の現地人代表理事リンさんがまだ成林機械という現代自動車の1次サプライヤーの役員をやっている頃だ。現代自動車に強い人脈を持つリンさんと当時の韓国担当営業(山王工場にいたが海外事業部組織だった)の朝立君と帰国したての恭作のトリオで現代、起亜、大宇という韓国3大カーメーカーを攻略すべくしょっちゅう韓国を訪問していた。この頃の韓国は今よりかなり発展途上で、東南アジア並みかそれ以上に〇〇の方もかなり大っぴらに誘惑があったが、その話は次話以降で。

また現代も大宇もドイツに開発拠点を置いていたのでリンさんとドイツまで出張したこともある。その頃欧州駐在していた内打君にもアテンドしてもらい色々と回ったが1番の思い出はたまたま時期だったOctober Fest(ミュンヘンのや有名なビール祭り)に行ってビール大ジョッキを何杯も空けたことだ。かなり後(オハイオ君こと張本君がドイツ駐在した頃だったと思う)になってからこのFestに再び行ったが、席を取るだけでも大変だった事を思うと当時フラっと行って楽しめたのはラッキーだったのだろう。

この時のトリオで手掛けたプロジェクトで立ち上がったのは起亜のディーゼルバランサーシステムと大宇の直6動弁システムだけだった。というのは数年後リンさんが大きな交通事故に遭ってしまい重傷を負って何年も仕事に復帰できなかったからだ。

リンさんがいなくなり、韓国現地営業はその頃テンショナー製造で提携した二元精工に移り、日本では海外事業部解散で朝立君が外され、このトリオも消滅した。リンさん不在時はプロジェクトが取れなかっただけで無く、起亜プロジェクトで大クレームになり橋本知恵院は悪くないのに7000万円の解決金を払わされ、その直後に起亜は現代に吸収され橋本知恵院の悪評だけが引き継がれ、現代自動車には元々納入していたカムカムチェーンの単品納入以外出入り禁止になってしまった。これは現地営業組織が無いも同然の状態でコミュニケーションが取れず誤解を解く事ができなかったからだ。韓国ビジネス(後に実感したが中国ビジネスも)はいかに人脈とそれによるコミュニケーションが大切だと痛感させられた。 -続く-