嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第37話:HWTCとキャプテンモルガン

冨士原さんお気に入り?のキャプテンモルガン

恭作が帰任して数年後(DS課長時代)からHWTC(ハシモトWorld Technical Conference)という世界技術会議が始まった。この頃はまだタイにも中国にも子会社を設立していなかったが、北米-欧州間ではOPEL-GM, JAGUAR-Fordなどのコラボが行われていて日欧米の連携が必要になってきたので技術国際会議の年2回(5~6月がUS,11~12月が日本)定期開催を始めたのだ。途中数回リーマンやら地震等でやむなく中止したがコロナまでは長い事続いていて色々とエピソードはあるが、その中でも印象的だったのは確か初期のUS開催の時冨士原さんが技術部長になりたてで恭作と共に出張した時の事だ。

ボリヨーク市内のレストランで行われた初日の歓迎パーティでUSの若いヤンチャな技術者達が冨士原さんに絡んでキャプテンモルガンという名のカクテル(後で知ったのだが写真にある様にキャプテンモルガンはラム酒の有名ブランド名で、それをコーラで割るカクテルも彼らはそう呼んでいた)をやたら注ぎまくっていた。日本ではあまり酔うほど飲まないが、もともと酒に強い冨士原さんは珍しくガンガン飲んでかなり酔っ払っていた。その時現地人技術者達が冨士原さんに付けたあだ名がキャプテンモルガンだ。冨士原さん自身も’キャプテン’という響きが気に入っていたみたいで’キャプテンモルガン!という若い連中の掛け声に一気飲みまでしていた。その後恭作は二次会で例のアンソニーに行ったので冨士原さんがその日どうなったのかは知らない。

その翌日もRichの家でバーベキューパーティだったが、そこでも若い連中のキャプテンモルガンコールは続き、冨士原さんは結構飲んでいた。当時駐在員だった遅船君(か宮字君)運転の帰り車の中’ちょっと停めてくれるかな’と冷静に言った後、道端に〇〇してから’はい大丈夫、行って’とまた冷静に言い放ちケロッとしていた。あくまで我々の前では取り乱さない姿勢にちょっとびっくりした。その後キャプテンモルガンというあだ名はしばらく使われたが、それ以来冨士原さんがHWTCに参加した事は無い。