嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第1話:新入社員はつらいよ(1)

入社式の日はキャンディーズ解散コンサートの日


嶋恭作が(株)橋本智恵院に入社したのはオイルショックの真只中の1978年4月の事だった。一部上場企業に入社できれば御の字という状況下、関西では有名らしいが関東の人間にとっては名前すら知らないこの会社に入社したのはここ以外入れる企業がなかったからだ。

採用は本社(大阪)だったが5月連休明けから埼玉県山王市にある工場の技術部に配属された。短期間実習を経て配属された技術部での仕事は、ほぼ使い走りだった。その内容は、

1) 現場や調達部署を走り回り、試作品製作の依頼と外注メーカーへの発注、それそれらの納期フォロー

2) 3F事務所の空調管理(当時技術と品証と管理部門が同居してたが7~80人位いた)内容は冬場は重油ボイラーの点火、夏場は集中冷房機の管理(かなりのオンボロで頻繁に止まるのでその度にリセットしなければならない)

3) 月一回程度の飲み会幹事

これらは2年以上続いた。特に1)の納期フォローはかなりイジメられた。その時は仕事ってこんなものだろうと思ってたが、二年後この仕事から解放された時に先輩からよくあんな仕事我慢出来たなと褒められて、やっぱりイジメ入っていたんだと気がついた。山王弁で’あんだかや、かったりーな。出来ねーよ’という声を浴びせられつつ、'何とかお願いしますよー'と返して納期を調整するという日々が続いた。まあ我々の時代は部活でも先輩絶対服従(中高大学と10年間体育会系に属していた)だったからあまり気にならなかったのかもしれない。

そこから20年以上経って立場は逆転し、係長試験の審査委員長だった恭作はそのイジメ系人間を落とした。ー続くー