嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第67話:自動車内組織改変

2014年に開業したUSJハリーポッターエリア

山王工場に帰任すると確かに雰囲気が暗かった。元々事業部長や企画管理がいた本館3階事務所は雰囲気が明るくなかったが、更に輪をかけて暗くなっていた。「京棚部みたいにまたここからやり直しかよー」と思ったが古巣なので以外と早く何とかなるだろうと気合を入れた。まずは3統括組織を何とかしなくちゃと、その解体と横のコミュニケーションの改善に取り組んだ。

冨士原体制ではイノベーションサイドと何とかサイドとか言って、(実は今でも恭作はこの標語が何を言っているのか判らない)営業とか製品技術/開発系と製造/管理/品証系を分けていたらしい。しかしこの人はベルトのゴム材料開発位しか実績が無く、事業部長になっても部屋で読書に明け暮れ自らの手を汚す事無く3統括だけをコントロールするという仕事の仕方なのだなと改めて軽蔑した。それに黙って従う奴らも奴らだが従わないと冷や飯を食わされるのだからしゃあないか。前話でも触れたがそんなことしたら横のコミュニケーションが取れなくて失速するのは当たり前だ。墜落しかけていた自動車の機体を一気に持ち上げるべく、その標語は禁句にすると同時になるべく縦割り組織を解体した。具体的には営業・技術は一括して恭作が見て製造は宮字君に任せながらそれらを融合していく組織を作った。これが後にPM部という部に発展させた素である。

人事的にも反冨士原派で冷や飯を食わされていた内打君や朝立君を中心に活用し、とにかく横のつながりが大切だという雰囲気に持って行った。逆に砂糖功は海外に集中させ少し退けたりした。ちょうど海外進出もたけなわになってきていてこの改革は大当たりし、3年後の2017年には史上最高のグローバル売上を自動車として記録した。

その中で中国に工場を建設せざるを得なくなり(冨士原は自動車の天津進出には反対だったが)天津の董事長を継続して任されていた恭作は天津に自動車工場を増築する事にした。一からやった一般産業用工場からすれば難易度はかなり低いと思ったし、天津工場との大赤字を何とかするにも自動車の進出は不可欠だったからだ。

またこの2014年は天津とほぼ同時にチェコ工場との検討を始めた。山王工場の改革、中国、欧州、そしてHWTC(第37話参照)参加復帰でアメリカへの出張と恭作にとって大忙しの年だった。