嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第22話:悲喜交々の北米駐在員生活-2

月1行ってたBOSTONの日本食材スーパー

昼食をどうするかは駐在員にてとって一つの課題だった。’たまには良いが、毎日の様に日本人同士でランチに行くと現地人とのコミュニケーションもおろそかになるし、せっかくアメリカに来てても英語が上達しない’そうアドバイスされた恭作はなるべく現地人とランチに行く事にしていた。でもハンバーガー屋(マックかバーガーキング、時々ウェンディーズ等)か中華屋のいずれかで、そのどれもがボリュームが大き過ぎた。これを一年も続けるとあっという間に太ってしまうという問題を抱え、駐在後半はダイエット目的でRichが始めたバナナと菓子パンとヨーグルトを家から持ってくるという作戦をマネて何とか体重増加を最小限に抑えた。(恭作の次の次の技術駐在員が宮字君だったのだが、3年の駐在で巨大化した)

朝食と夕食は基本、家で日本食だったのだが、食材や調味料調達は一苦労だった。カリフォルニア米、豆腐などは地元大手スーパーで、日持ちのする醤油や味噌などの調味料はチコピーの韓国食材店で手に入ったが、日本米を含めてその他のものは車で2時間かけてボストンまで行かないと手に入らなかったので月に一度は写真のボストンにある日本食材店や魚屋等に買い出しに行っていた。駐在後半にはチコピーからクルマで30〜40分の所にあるAmherstという街(大学があり国際職豊かな街でスーパーやレストランも日本人好みの店が多い)でそこに韓国人の経営する魚屋が出来て毎週行っていた。本マグロのトロや平目の刺身、〆サバ用の新鮮なサバはいつでも、季節によっては殻付きウニまで格安で手に入れる事ができて、日本からの出張者を自宅に招いた(これはこの頃駐在員の義務だと言われたが、それは恭作が帰国後いつの間にか消滅した)時は感動された。魚の捌きや寿司の握り方は以前書いた様にマスターしていたが、ウニの捌き方は知らず苦労した。つい最近日本のスーパーで格安の殻付きウニを手に入れたが、この時の経験が役に立った。そのほかサーモンは新鮮なものが簡単に手に入ったので甘塩シャケの作り方もこの時覚えた。ニューイングランド地元の名産ロブスターも地元スーパーで活きたまま売っていてその調理法もこの時覚えた。この様に自分で料理出来ればかなり良い食生活が送れた。

-続く-