嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第20話:チェーン化大逆転劇~海外カーメーカー編4(北米-3)

PV6搭載のOldsmobile AURORA

GMの2大プロジェクトがアメリカ現地化を含めて量産化していった1990〜93年頃はそろそろトヨタなど国内カーメーカーも本格的にチェーン化の計画が進みはじめていて、山王工場の技術部は大忙しだった。ベルト一辺倒だった人員配分もかなりチェーン重視となり、中核のリーダー的存在にだった恭作も大忙しで周りの人間がどんどん北米駐在して行く中、駐在希望はしていたが半ば諦めていた。そんな時(1992年12月頃)いきなり太門さんから呼ばれ’お前アメリカ駐在せえ。出来れば来月くらいから’と言われ、嬉しかったがかなり焦った。駐在打診から2ヶ月位で行ってこいと言われるのは当時としてはあまり珍しい事では無かったらしいが、物理的、気持的、家族の意向確認などなど、とにかくやる事が山ほどあった。ビザ取得も含めて取り敢えず93年2月初旬には単身アメリカに渡った。(家族は5月連休位に来る事にして、その間に家探しとかの準備をした)

そこから駐在員生活3年余の裏話は次話以降に書く事にして、取り敢えず仕事の話をすると極めて順調に進んだ。一年以上前に採用していたRich Paxonと恭作赴任と同時に採用したMark Lamoureuxと恭作の3人で技術部を設立しCADの設置から始めた。その後社長になるDAN Butterfieldは技術部として4人目だが、その一年後くらいの採用だった。

国産メーカーの現地化の話は自動的に来るし、GMプロジェクトも次々と受注(L850 ,Quad4, I6,PV6等)に成功した。1番印象に残ってるのは、駐在も終盤の頃なので何とかなったがPV6のRFQに対する回答プレゼンをRichが私用で行けず現地人の営業マンと恭作の2人でやっに時で流石に緊張した。入札プレゼンに技術は 日本人1人!?と誰もが思ったと想像するが(プレゼン会場で一つ前の時間帯でプレゼンしていたバルグワーナー一行とすれ違ったが、‘たった2人かよ’という様な顔をしていた。)まあそれでも受注出来たのだから良かった。

その他にもFORD攻略の為にDANがデトロイト駐在(FORD設計駐在)してFORD V6 を受注に繋げたり、日産(サニー:北米名セントラ、ブルーバード:北米名アルティマ、ダットラ等)の現地化があったり、クロマイジング現地化で日本人長期出張ラッシュてMac砂糖君が長期滞在して活躍したり、チコピー工場決定とその移転準備かあったりで、あっという間に3年が経った。恭作は2年延長(計5年)の内定でビザ延長申請まで終わらせたが、山王工場でチェーン系技術課長の村乃さんの突然の訃報(心筋梗塞による突然死)でいきなり帰国(駐在期間3年と一ヶ月)する事になった。恭作の代わりには遅船くんの駐在が決定した。