嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第42話:Iwisとの協業(その2)

Girgさんに乗せてもらったベンツSクラスV8ディーゼルターボ

Iwisの思い出と言えばToddyさんだ。彼は橋本知恵院に対するiwis側窓口役だったのでドイツ(ミュンヘン)では色々と世話になった。基本的にビールとソーセージ以外は美味しい物がないというイメージのドイツだが、彼にはディープで美味しいレストランに連れて行ってもらった。彼は橋本知恵院との関係が解消された後iwisを退社して消防用部品の会社を設立したのだが、それからも上海で(iwis在籍時代も上海駐在していたし、退社後も上海に自社の事務所を持っていた),そして橋本知恵院がミュンヘンに事務所を設立する時もお世話になった。上海で夜遊びと言えば日本人は西側の虹橋地区しか行かないが、彼はドイツ人が遊ぶ東側地区に連れて行ってくれた。特にジャズ、ロック系のライブハウスはアメリカからミュージャンが来ていてかなり本格的だった。〇〇系の遊びもToddyさん曰く信じられない程凄かったらしいがその前に飲みすぎて行けなかったのが悔やまれる。良く考えたらその時が初めてあの白酒を飲んだ時の様な気がする。

もう1人印象的だったのはIwisのNO.2であった Girgさんだ。彼は会社の中では社長の片腕的存在で自動車事業のトップでもあった。風体は恭作の尊敬する大宮崎さんタイプで性格も似ていた。余り細かい事は気にせず大局的に物を考える人でiwisにとって橋本知恵院は必要なパートナーだと認めてくれていた。Iwis工場訪問時、昼食に自分の運転するベンツSクラスのV8ディーゼルターボ(もちろんiwis製タイミングチェーン搭載)で50km以上離れた湖畔の高級レストランに連れて行ってもらったのは忘れられない。昼食自身も美味しかったが、その往復時アウトバーンを230km/hでかっ飛んでいたのが衝撃的だった。Iwisの先代社長が引退して息子に社長を譲った時にGirgさんも引退したのだが、その新社長と転職してきた自動車の新事業部長は橋本知恵院との協業に否定的だったので程なくして協業は解消された。

橋本知恵院はiwis工場にサイレントチェーンの組立ラインを設置しジャガー向けチェーンのノックダウンをしたり、彼らが出来なかったVC処理ピンを供給したりして製造面ではうまく行っていたのだが、新経営陣は世界戦略を独自にやりたくて橋本知恵院はパートナーでは無く競争相手だと位置づけた訳だ。結果的にiwis単独での世界戦略は失敗に終わり、欧州のディーゼル問題も追い討ちをかけ自動車事業は斜陽化しているのだからこの経営判断は大間違いだったという事だろう。もしも協業が続いていたらどうなっていたのだろう?その’もしも’の仮定の話は次話で。