嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第54話:天津進出

ヤンさんが東京で乗っていたベンツと今も健在らしい天津カラオケクラブ



赴任して1ヶ月後位に当時の社長の尾左さんから呼ばれ天津進出のミッションを課せられた。ここの事業部長を任命された主要な理由の1つは間違いなくこれだなと感じた。’既にコンベヤ事業部と協業をしていた天津と上海に会社を持つヤン社長と協力して天津にコンベヤチェーン工場(子会社)を設立せよ’とのミッションだった。前任者の壱川さん(専務)とその下の美尾役員が橋本知恵院子会社HBSと協業している別の中国会社チノマとの協業を進めようとしていて、ヤンさんとの話が遅々として進んでいなかったようだ。そんな事は恭作には興味無く与えられたミッション遂行の為5月下旬には単身で天津に乗り込んだ。天津には駐在員がいなかったので上海からコンベヤ事業部から駐在している谷山君(後に役員となる)の応援を得る為現地で彼と合流した。ヤンさんは怖いという噂もあったが実際会うとツーカーで話が進み意気投合した。要するに前任者達はやる気の無さがヤンさんに見透かされていて、相手にしてもらえなかったのだろう。

ヤンさんというのは恭作の2,3歳年上で、大金持ちで、天津の政府筋にコネが強く、〇〇も大好きというある意味憧れる存在だ。当時彼のクルマは私有車として東京に2シーターのベンツとBMWハイブリッド、天津にアウディA8,上海にベンツSクラスを持ち、東京にマンション2つ(豊洲と浦安),天津に実家とマンション1つ、上海にマンション2つ(その内一つは恭作も数回お邪魔したがオーディオ設備だけで億単位の金をかけている)を所有していた(今をは増えてるかも)。東京の神田に自分の会社を持ちそこの社長が本業だが、上海と天津に橋本知恵院との協業会社も所有している。さらに恭作の知っているだけでも天津には元妻、東京には今の妻、上海には彼女がいてそれぞれに子供がいるはずだ。ちなみに天津生まれの中国人だが日本国籍を取得していて勿論日本語もペラペラだ。そんな凄い人なのに話をすると極普通の人で付き合いやすい。ただ〇〇も好きで山王にも出向していた美人のナンチャンのことも気に入っていたらしい。ナンチャンが「ヤンさんグイグイくるから苦手なの」と愚痴を言っていたのを覚えている。

仕事はヤンさんと上手くやれた事ではかどり天津工場は恭作の赴任中に竣工出来た。その初回出張がこの5月の出張だったのだが、仕事がうまく行ったご褒美もあってその最終日の夜の2次会で楽園というき日本人向けカラオケクラブに連れていってもらった。これがまたビックリのレベルで、その数年前にトヨタの接待で行った錦(名古屋)のオ〇〇イパブを更に過激にした様なものだった。絶対トヨタの人間が天津に持ち込んだ文化だと確信した。その割に料金は安く入場料300元のみで時間制限も追加料金も飲食料金もタダだった。(その頃1元=15円)ついでに言うと2次会料金は800元だった。その初めての夜でその後6年間もお世話になるヒトにめぐり逢ってしまったのだから不思議だ。その話はまた後で。