嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第48話:恭作の入院と小宮崎さんとの和解、そして人生最大の驚き(その2)

当時管沢君が乗っていた幸せの黄色いビートル

入院して肝臓専門医と話をした所によるとC型肝炎でそんなに急に悪くはならないので原因はこの病院にかかる前に通っていた町医者(外科)でのブロック注射の打ち過ぎだろうということだった。確かにふくらはぎ痛は酷くしょっちゅうブロック注射を打っていた。根本原因の腫瘍を取らなきゃダメなのにヤブ医者にかかってしまったという事だ。入院治療はひたすら点滴と食事療法で退屈な入院生活だった。入院中の最大トピックはその頃DS課メンバーをはじめとした飲み仲間としょっちゅう行っていた本加治駅前のスナックのママがお見舞い来てくれた時の事だ。彼女が甲斐甲斐しくベッドの周りを片付けてくれる姿を見て看護婦さんはカミさんだと勘違いしたが、驚きはその後に来た。’ねえ、私話があるの’と切り出され、この状況で勘違いしない奴はいないだろうと思っていたら’私、管沢さんと結婚するの❤️’と続けてきた。管沢君も飲み友で良くそのスナックに行っていたのは知っていたが、まさかの展開に驚いて「おめでとう」しか言えなかった。因みにこのスナックで学生さんのバイトの女の子がいたが、それが相和さんで後に一緒に仕事をするとは思ってもみなかった。

肝臓の値が下がるまで消化器内科で1か月以上かかったが何とか3月には整形外科に移動して検査手術を受ける所まで漕ぎ着けた。これは腫瘍がガンかどうかを見極める為の簡単な手術で、幸い良性腫瘍でガンでは無いという事が判明した。もしガンだとすると転移を避ける為にかなりよの範囲を切らなくてはならなかったそうだ。そこで本手術の方針と日程が決まり少し日程に余裕があったので一度退院して再入院することになった。その間出社もして病状報告の為や人事考課の時期だったので事業部長の小宮崎さんとも面談した。下期の半分近くを休む事になってしまったので自己評価はDをつけて面談したが何と小宮崎さんはA評価に変えてくれた。理由は’お前の様な貢献と実績のある人間が3ヶ月休んだくらいで評価は下がらない’と言ってくれて正直無茶苦茶嬉しかった。第23話で書いた遺恨はこの瞬間に吹っ飛んだ。

この後本手術の為再入院し無事手術は成功して5月の連休明けには退院する事ができたのだが、その後人生最大の驚きが訪れた。-続く-