嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第32話:韓国プロジェクト(その2)

世にも珍しい大宇の直6横置きエンジン搭載のMagnus

リンさんが交通事故で重傷を負って入院している頃、朝立君は担当を外される直前の韓国出張時にお見舞いに行ったそうだ。その時の話ではとても歩ける様にはならないだろうという悲観的ものだった。このお見舞いがその後の韓国ビジネス再会のきっかけになるとは誰も思ってはいなかった。

リンさんが不在の時の韓国プロジェクトは惨憺たるものでせっかく立ち上がった起亜のディーゼルバランサーは即打ち切りになるわ、現代自動車は出入り禁止になるわ、で残った大宇の直6エンジンを立ち上げるだけになってしまった。この頃は韓国出張があるとホテルの手配等何もかも日本サイドでやらざるを得なくなり(それ位、二元精工による現地営業態勢は陳腐なものだった)自力で行ける金浦空港のそばのホテルを定宿としていた。(例のトリオで活動していた頃は市内の一流ホテルにリンさんに送迎してもらっていた)恭作が初めてそのホテルにチェックインするとものの数分後にコンコンとドアをノックする音が。明らかにホテルの従業員(多分ドアボーイ)とわかる格好の男が来て’〇〇○要りませんか?’と勧誘してきた。さすがにその時は面食らったし、その後用事も入っていたので断ったが要するに日本人と見るや小遣い稼ぎに売春の仲介をしていた様でしょっちゅうコンコンとやってきた。帰国してから朝立君にその事を話たら、’例のトリオで活動していた時は○○勧誘は僕からシャットアウトする様にリンさんに頼んで予めホテルに根回しさせておいたんです’と聞かされた。’コイツお見舞いの件もそうだが妙な所にくそ真面目だな’と思ったのと、正直内心’余計な事しやがって’とも思った。彼に言わせると隣の事業部の韓国進出でやたらとキーセンパーティなる〇〇的接待が横行していたの疎ましく思っていたそうでそれの反動の気持ちが強かったそうだ。この朝立君のくそ真面目さは相当後に彼が橋本韓国の社長になった時に恭作が崩壊させた。その話は恭作の単身赴任時代の事なので相当後で触れる事にしよう。

そんな中、1998年から2000年にかけてトヨタの全ての4気筒エンジンがチェーン化されたのだが、それは世界のカーメーカーに多大な影響を与えた。これが何回も出て来るオセロひっくり返り現象だ。現代自動車もその一つで、当時エンジン技術部長だった文さん(Moonさんと読みその後現代の技術トップの役員にまで上り詰めた方でリンさんとは知り合いだった様だ)に退院して独立して仕事を再開したリンさんがコンタクトしてくれて、トヨタのタイミングシステムを手掛けた橋本知恵院の話を聞いてくれと根回ししてくれた。退院したリンさんは見舞いに来てくれた朝立君に恩義を感じ、出入り禁止の件やチェーン化の勢い等色々情報交換を退院後にしていた様だ。文さんによればトヨタのエンジンを手本にするのがあの頃の基本でちょうど興味が大いにあったグッドタイミングで、出入り禁止の誤解さえ解ければ全く問題無い状態だったそうだ。もちろんその誤解はリンさんが綺麗に解いてくれた。ここから先はまたあのトリオの復活となり、ここまでお膳立てが出来ていれば口八丁手八丁の恭作の得意技であっという間に受注の嵐→現地化要求→橋本韓国の設立となったのだ。