嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第7話:自由気ままな寮生活―その3:私をスキーに連れてって

恭作がスキーをやり出したのは大学時代からで、苗場の民宿に住み込みバイトした事もある位はまっていた。スキーの腕前には多少自信があったのだが会社の寮に入ってその自信は消し飛んだ。当時北海道や東北地方出身の寮生が多いことでスキーのレベルたはかなり高く、恭作がその後属すことになった橋本知恵院スキー同好会は山王市のスラローム大会(回転と大回転)でいつも優勝を競うレベルだった。その話は面白く無いので、それとは別に‘SNOW LOVE’という軟派的サークル(もちろん半分近くは女子)を恭作は立ち上げたのだが、それに関連したエピソードを紹介しよう。ちなみに写真の映画がヒットした5年くらい前の話であるが…

恭作を新人の頃いじめていた製造現場の古株の1人で青森出身のチンピラ崩れ(腕に中途半端な刺青までしていた)く佐倉田という嫌われ者がいた。一言で言うとフーテンの寅さんの性格を悪くした様な奴で、タチの悪い事にスキーが大好きだった。会社主催のスキーバス旅行で一緒になった事もあったが、そいつが来るのでスキーバス旅行が成立しなくなっていったくらいだ。(みんな奴を嫌がって参加したがらず最少催行人員に達しなくなったのだ)

そんな状況の中、スキー同好会の一員でSNOW LOVEの主催者でもあり会社のスキー仲間が多数いた恭作は、学生時代のバイト先である苗場のスキー宿オーナーとも仲が良くスナックで知り合った個人バス会社の社長とも親交もあったので、周りの人からのリクエストもあり個人的にバスツアーを企画する事になった。ツアー名は’㊙︎スキーバスツアー’,コンセプトは佐倉田に知られずに人員を募集して会社とは無関係に週末スキー旅行を楽しむというものだ。携帯も無い、メールも無い1980年代前半だからSNOW LOVEのメンバーを軸にとにかくコンセプトを理解して秘密を守ってくれる仲の良い人たちだけへの口コミで募集した。大型観光バス一台分50人の定員は女子も含めてアッという間に満員となった。まあ仲の良い若い連中しか来ないし、会社の若い女の子達も多数参加してくれたので人気だったのだろう。バスと宿は恭作の個人的手配で利益も取らなかったから相場のバスツアーよりはかなり格安で出来たのも人気の一因だったのだろう。

ちょっとだけ失敗したのは出発を金曜日の定時後5時半位に設定したら、バスが工場外に停車するわけにもいかず、社員の帰宅時間に堂々と総務事務所前で待機していた事だ。最後の最後で㊙︎では無くなってしまい定時で帰宅する佐倉田にもバレたが、無事バスツアーは実行できた。言うまでも無いが、とても楽しいツアーとなって良い思い出になっている。良くそんな事1人で出来たねと感心されたが、仕事でエンジン部品の量産立ち上げするよりはずっと簡単で楽しかったから別に大したと事では無いと言っておいた。

後日談として、その後佐倉田の属していた製造現場はビジネスの都合上(鉄系→ゴム系への変革のあおり)廃止となり、彼自身もいつのまにか会社を去って行った。