嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第55話:白酒と山部君

史上最強の酒 白酒


恭作が次に天津を訪問したのは1回目のほぼ1ヶ月後だった。工場用地の候補は2、3箇所1回目で決めてあり、次の課題は人だった。総経理(社長)候補は全く決まっていなかったが、製造のリーダーである工場長候補は京棚部のスタッフ全員一致で山部君一択だった。恭作と彼は同期入社(高卒なので4歳若い)で新人研修で数週間一緒だったので知っていたが、当時の彼は爽やかイケメンの野球少年という感じで同期の中で女子人気ダントツ一位だった。しかし50歳過ぎの彼は巨大化していてイメージが変わったが中国ではこの体型がまた受けて人気だった。その2回目の天津出張は彼にまず天津という所を見てもらおうと2人で行った。

天津では現地のコンベヤ系の合弁会社の人達が彼の歓迎会を開催してくれたのだが、ヤンさんの誕生日(7月4日だった筈だ)と重なり一大飲み会となった。当然出てくるのは言わずと知れた白酒(パイチュウまたはバイジョウと発音する)だ。山部君は初めてだったらしいし、恭作も前回飲んでいるもののその時ほどは飲まなかったので油断してしまった。アルコール度数は主に3種類あり42,52,62%というラインナップだ。今考えるとその時は度数も高いヤツだったのかもしれない。現地人とカンペイを繰り返す中、山部君も恭作も途中からダウンしてホテルまで運ばれて部屋に投げ込まれた。特に山部君は巨体だったので車椅子まで使ったらしい。この洗礼を受けて山部君も恭作も現地人に認められたのは言うまでもない。もし、ここでとことん飲まないとこれから協力してくれる合弁会社のスタッフやヤンさんからも信頼が薄くなるところだった。(そういう人もその後何人かいた)この後から白酒を飲む時は細心の注意を払う様にしている。山部君は翌年から工場長として単身赴任して仕事は物論良くやってくれたが、夜の方も帝王よろしく前話で登場した楽園とハードさでは並び称される777というクラブの常連となり、最終的にはその店の用心棒まで手下にしていたくらい馴染んでいた。

さて、1回目で出逢った楽園のヒトだが2回目にはそのクラブに行かなかったのか、行ってもいなかったのか、とにかく会えなかった。そこでWeChatのアドレスを交換していたので連絡してみると彼女は是非会いたいとホテルまで来てくれた。楽園はハード過ぎてきついので辞めて普通のカラオケクラブに移ったと言っていた。見た目は若いのだが後に聞いた話として恭作の娘と同い年の息子がいた。逆算すると最初に会った時でも確実に30代前半という事になる。多分それから6年間ほぼ毎回時間を作って会っていたと思う。何故か話も合うし中国語や良く効く漢方薬も教えてくれたし、天津市内のディープな飲み屋にも行ったりして移動も地下鉄やタクシーなど使ってできるようになった。一度、当時天津工場の総務だったナンチャンが空港までの社有車を手配し間違えた事があったが、何の問題も無く自力でホテルまで地下鉄で行ってビックリされた。また、ディープ過ぎる店で食あたりして大変な事があったけど、夜中落ち着くまで看病してくれたのも良い思い出だ。だがそれ以来中国では日本人が作る刺身以外の生ものは食べない事にした。