嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第52話:アジア進出(韓国編その2)

韓国現地納入を始めたシータエンジン搭載のソナタ

USの現地生産は一般産業事業部がボリヨーク工場を買収済みだったし、タイの工場はトヨタをはじめとした日本企業が数多く進出していたアマタナコン工業団地の物件を買えば良かったのでそれぞれの現地進出は比較的容易だった。しかし韓国は客が100%現代自動車だし現地子会社は無いし何かツテが欲しかった。そんな中、リンさんが例の事故から復帰、退院後ユニスターという電気スクーターを中国から輸入して販売する会社を立ち上げていたし現代自動車とのコネクションも強かったので会社(工場)設立には彼の全面的アドバイスをもらう事にした。リンさんとしては少しでも出資して合弁会社にしたかった様だが、そこは我慢してもらい会社、工場設立後は一部製造委託をする事や成功報酬のREP契約*をする事で妥協してもらった。実際リンさんのREPとしての営業力が無ければ最初の3機種もその後の拡大受注も出来なかったと思うので橋本知恵院としてはお得な妥結だったと思う。韓国はとにかくタイと正反対で反日感情が強く、現地人で無いと解決出来ない様々な問題が存在したのだ。(そういう意味では今後のブログで登場する天津進出の時のヤンさんの存在と同様だった)

橋本韓国の設立は2009年で、初代社長はリンさんと十数年の付き合いのある朝立君にお願いした。中国から輸入した電動スクーターの最終調整をするユニスターの小さな工場の小さな一室が橋本韓国の最初の拠点だった。社長が朝立君、共同代表理事がリンさん、そして事務の女性社員一名の3人だけからのスタートだった。担当役員はもちろん恭作で工場用地の選択、契約、着工と何回も製造が始まる前から出張した。工場用地選択は役所側の手違いがあったり遺跡が出てきたりして二転三転したが、工場建設自身はフジタが橋本知恵院初仕事という事で頑張ってくれて比較的スムーズに行った。新工場竣工は恭作が一般産業事業部に単身赴任した数ヶ月後だったし、朝立君のクソ真面目さは健在で残念ながらその頃までの出張における〇〇系エピソードは皆無だった。朝立君を目覚めさせたのは恭作が一般産業事業部に移ってポスコとの付き合いが濃くなり、ポスコ訪問で橋本韓国を訪れた時だった。その時のポスコによる接待がきっかけで彼の〇〇系遊びに関する考え方が180度変わったのであった。おせーよ!

(*REPとはSales Representativeの略で「メーカーと販売先を結ぶ橋渡し役としての販売活動」を行う人。リンさんの場合彼が受注に貢献したプロジェクトの販売額にあらかじめ決めた割合の報奨金[上限有り]を支払う契約をしたが、販売が途中から大規模になり上限金を払い続けた)

〈次回からはいよいよ関西単身赴任編スタート〉