嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第6話:自由気ままな寮生活―その2:クルマ編

寮生のクルマに関するエピソードは数多くあり、品証の大御所関川君のN360、技術部の古株管沢君の真っ赤なFFファミリア正丸峠全損事故や韓国駐在していた良野君のマークⅡ顔振峠正面衝突事故(これは恭作が助手席に同乗しており良野君は悪く無かったが)などいくらでも出てくるが、写真に挙げた3車の例を紹介しよう。

1)2022年まで営業で活躍していたコンちゃんこと混童君のケンメリスカG

当時モテ車の代表とも言えるケンメリだが、恭作にとって一番の思い出は無理矢理Wデート伊豆一泊旅行だ。コンちゃんの相手はその数年後結婚する彼女だったが、何故かそのWデートに誘われ、事業部の違うあまりよく知らない娘と一緒に行く事になった。結局その娘とは付き合うことにはならなかったが…それ以外にもコンちゃんの故郷福島に一緒に里帰りしたりして、このスカイラインにはお世話になったものだ。恭作は飛ばす方では無く(自身のクルマは初代シャレード)不満ではなかったが、スポーツカーとは程遠い遅い車だった。

2)3Fとして有名な蓋見さんの二代目フェアレディZ

彼と言えば、Z,中島みゆき、バニーちゃんのエスカイヤクラブ だが、ここではZ関連のエピソードだけにしよう。新車のZを購入後、エンジンをノーマルL20(日産直6最後の鉄製動弁式)から北米仕様のL28に換装して、3歳後輩の恭作はゼロヨン計測等に良く付き合わされた。そのZに恭作と同期入社の品証古株松井君所有の3つ目の写真のコロナ2000GTが会社の駐車場で突っ込み、大騒ぎになった。どちらとも仲の良い恭作は示談の仲裁に入らざるを得なく大変だった。結論は松井君の保険で修理→蓋見さんは気に入らず売却→Zを買い直して再びL28に換装となった。(ちなみに松井君のコロナ2000GTはとても良いクルマだった。彼とは彼の実家である札幌や東北ぶらり旅行-暇な土曜日の午後流しに行ったら宮城まで行ってしまい飛び込みで民宿に泊まった。その時出されたホヤの味が忘れられず今でも恭作の大好物だ-でかなり運転させてもらったが、当時人気のセリカ2000GTと同じエンジンである18R-GのパワーとSOLEXツインキャブの音がたまらなかった。18R-Gと初代レビン/トレノで有名な1600ccの2T-Gはヤマハ設計の当時としては稀なDOHC量産機でもちろん鉄製動弁機構だ。この2機種のテンショナーは共通でありその最終バージョンは恭作の設計で、今思えばその30年後の25Aテンショナーと基本同じ設計思想だ。ちなみに恭作は関西転勤のため25A設計には関わっていない。)

それ以外にも蓋見さんが京都営業所に駐在になった時に恭作はまたまた無理矢理Wデートに付き合わされ、苦痛を味わった(Zの後席は2by2といって長く乗っていられたものじゃない)。ちなみに蓋見さんの目当ては京都営業所の事務の娘で、もう1人の娘はただ単にその娘の親友という恭作にとって初対面の娘だった。もちろんどちらもカップル不成立であった事は言うまでも無い。