嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第14話:バブル時代と動弁機構チェーン化への大逆転劇

バブル期のお立ち台お姉さん

バブル期のOLファッション


バブル期は1985年頃から崩壊の始まった1991年頃までを言うらしいが、この頃同時に動弁機構再変革(ベルト→チェーン)の流れが水面下で急速に来ていた。恭作自身は1987年に結婚して仕事もその大変革の中枢を担っていた為超多忙だったので(更にど田舎の山王市にはバブルは来なかった。写真に挙げたようなディスコの大騒ぎやワンレンボデコンのお姉さん達は都内だけの話だった。都内でその頃独身OL生活を謳歌していたある人間の話では女性は毎日タダで飲み食いさせてもらい、帰りのタクシー代まで有り余る程貰っていたそうだ)バブルの恩恵には与っていない。橋本知恵院初の女性役員となった石畑さんもこの頃の入社で、新人の頃写真にある様なボデコンスーツで闊歩しているのを本社で見たことがある。

バブル期のクルマで言えばソアラとかシーマが有名だがみんなベルト式動弁機構だ。ていうか、この頃チェーン式動弁機構の国産乗用車を新車では売っていなかった。いくつか前の記事で紹介したトラッドサニー(1987年発売)以降日産車は次々にエンジンの動弁機構をチェーン化していった。チェーン化最後のエンジンはV6エンジン(=1991年発売のVE30エンジンでVQエンジンの一世代前)だった。日産以外のカーメーカーは1980年代末期に前述JAF出動要因問題による政府指導によりチェーン化を検討し始めたので、例えばトヨタの再チェーン化第一号は1998年発売の1ZZエンジンで日産に遅れる事10年であった。ホンダのチェーン化第一号は1999年発売のS2000,日産はというとちょうどその頃ローラチェーンをサイレントチェーンに変更し始めた時期である。この時点で日産は動弁機構においては国内他社に対して10年先駆けていた事になる。

バブル期の始まりである1985年頃からトヨタやホンダのチェーン化までの15年間の話しを一気に書いてしまったが、この15年間にはいろいろな裏話が隠されている。次話以降ゆるりと暴露していこう。