嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第33話:サイレントチェーンの開発と受注(今回は真面目な技術話)

橋本知恵院製初のサイレントチェーン採用の日産サニー



話は少しさかのぼるが、ちょうど恭作がアメリカに赴任した頃から各カーメーカーでサイレントチェーンをタイミングシステムに採用しようという動きが出ていた。バイク好きならその静かさは承知していたのだろうが、それよりチェーンのピッチがそれまでの主流の9.525mmの2/3となる6.35mmと小さくなるいうのがよりメリットと捉えられていた。専門的な話になってしまうが燃焼効率(燃費につながる)向上の為バルブ挟み角を小さく(カムカム間距離も小さくなる)設計するとクランクスプロケットの歯数制限からDOHCの場合2段がけチェーンレイアウトかカムカム駆動システムが必要になる。当時VWマツダ現代自動車などがベルト+カムカムチェーンシステムを、日産は2段がけチェーンシステムを採用していた。ところが6.35mmのサイレントチェーンを使うと一段がけで済むのだ。特に日産は全てのDOHCエンジンの2段掛けを廃止出来るという事でかなりのVAにもなるので積極的だった。ちなみにその後VVT付きカムスプロケットやロッカーアーム式ラッシュアジャスターが主流になったのでカムカム間距離を小さくするニーズは無くなった。

当時サイレントチェーンを二輪エンジンとはいえ量産していたのはバルグワーナー社だけで、普通に考えたらそこの独占になってしまう。このブログ第13話で書いた様に橋本ボルスからサイレントチェーンを手放した経営判断の失敗が重くのしかかった。

その頃サイレントチェーンの開発担当は師匠の荻野谷さんや子桜さんなど日産技術駐在経験組で、この人達の頑張り(特にVC処理ピンの開発)で何とか日産向けのサイレントチェーンの開発は受注に間に合った。ちなみに橋本知恵院製サイレントチェーン搭載第一号は1998年発売のQGエンジン(サニークラス)だ。流石に日産エンジン全体としてはその後バルグワーナーと併注になってしまったが、チェーンとして半分以上、システムとしてはほぼ全て獲得出来た。この辺りは商社の橋本興業の力も大きかった。

トヨタ(ダイハツ)もほぼ同時に他社(バルグと台同)のサイレントチェーン採用を進めていたが、サイレントチェーン最大の弱点である伸び性能がトヨタのクライテリアに足りず(耐久テスト不合格)ZZエンジンでは不採用となり、他社に取られそうだったトヨタ向けタイミングチェーンビジネスをほぼ100%獲得することが出来て現在まで続いている。(この逆転採用の時にトヨタの技術首脳陣が山王工場まで頭を下げに来たという伝説的なエピソードがある。恭作はアメリカ赴任中で立ち会っていないが)但しダイハツ開発の1SZエンジンはダイハツに開発責任が有り、ダイハツ技術陣は’いてまえ!’という感じで初代ヴィッツを他社(台同)サイレントチェーン(システムは橋本知恵院製)で立ち上げた。1998年同時にこの2つのエンジンは(1ZZは橋本知恵院製05E,1SZは他社製サイレントチェーン)立ち上がり、初代ヴィッツはチェーン伸びクレーム多発でモデルチェンジで05Eチェーンに変更になった。この為トヨタのエンジンの設計マニュアルにはタイミングチェーンにサイレントチェーンを使ってはいけないと載ったそうだ。(1998年はトヨタ、日産共に大きな動弁機構の変化エンジンの発売があったのだ)

ところでトヨタは懸案事項だったカムカム間距離をどうしたかというと、実はロッカーアーム採用で自由度があったらしく、恭作の弟子の熊蔵君が05Eチェーンに最適な96mmで強引に押し進めた。(この時の日産のそれは確か80mm前後か未満だった)因みに今でもトヨタのカムカム間距離は96mmが主流らしい。サプライヤーがエンジンの主要寸法を決められるってすごい事でこれも伝説となるだろう。

じゃあバルグワーナーはどうしたかというとほぼ同じ時期(正確には翌年)にホンダ車チェーン化第一号S2000でサイレントチェーンの量産を始めた。この話は次話以降で。