嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第38話:トランスファーケースチェーン(パワードライブチェーン)その1

幻となったオートマ用プライマリーチェーン

どういう経緯でパワードライブ(いわゆる車軸の動力に関するチェーン)をやることになったかは恭作の担当外だったので定かではないが、CVT用のチェーンをやろうとした事は覚えている。日産やスバル辺りをターゲットとしていたが失敗してトランスファーケースチェーンに乗り換えたと記憶している。恭作がそのプロジェクトに関わったのは1995年頃、北米駐在時にジープチェロキートランスファーケースチェーンを受注しようと、出張してきた当時本社の研究開発のトップだった兼平さんをニューヨーク州イサカ市のトランスファーケースメーカーに連れて行った時だ。(その後そのメーカーはMAGNAに買収された)その後この案件は兼平さんを始めとした研究開発系の人達やその少し後のに退社してしまったMac砂糖君の頑張りで受注寸前まで行くが、バルグワーナーのロビー活動で潰されてしまった。実はトランスファーケースチェーンだけで無く、プライマリーチェーンという北米FF車のオートマ仕様には全て使われているパワードライブチェーンが存在し(今も?)その2LクラスATの4T40E用チェーンまで受注出来そうだった。それまでパワードライブチェーンでは世界的独占企業だったバルグワーナーは流石に地元生産量減少=雇用機会減少に危機感を抱き大慌てした。ニューヨーク州イサカ市というのは橋本知恵院にとっての山王市みたいなものでバルグワーナーの生産本拠地がある地域で、その地元ニューヨーク州の国会議員まで巻き込んで橋本知恵院の参入を阻止したのだ。それがロビー活動だ。流石に政治がらみの妨害に橋本知恵院はなすすべも無く北米パワードライブプロジェクトは諦めざるを得なかった。しかし、その後自ら志願して研究開発部から移動してきたホリエモンこと掘絵君などの活躍もあり、欧州でMAGNA社との付き合いが始まり、トランスファーケースチェーンの世界でも神風が吹いたのだ。その話は次話以降で。