嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第39話:トランスファーケースチェーン(パワードライブチェーン)その2

米軍横田基地とホットライン電話器

第29話で書いた様に1997年頃関西技術のドンこと兼平さんが埼玉に単身赴任してきたのだが、それはパワードライブチェーンの開発を強化するというミッションだった。しかし第28話で書いた様にあまりに酷い組織だったのを見るに見かねてパワードライブだけで無く全体を仕切る技術部長に就任された。パワードライブの組織も本社研究開発の山王支部みたいな形から完全に自動車事業部の一員となった。技術部長になった時の歓迎会ではDS課員が中心で2次会に兼平さんの単身赴任マンションに押しかけた。下のコンビニで安酒(確かサントリーホワイトだったと思う)とツマミを買って行ったのだが、サイドボードに響があるのを見つけて皆んなで開けてしまった。恭作は終電に間に合わず翌朝の始発で帰ったが、リビングにはまだ数人横たわっていた。その頃は兼平さんの凄さを知らなかったから出来たエピソードで、関西ではあり得ない事件なのだろう。

ちょうどその頃掘絵君が本社研究開発から自動車に志願して転勤してきてパワードライブ担当となった。彼は海外志向が強く’研究開発にいても海外駐在はできそうにない。海外事業部も解散してしまった状況では自動車が1番海外駐在のチャンスが高い’と考え移動を志願したそうだ。自動車としても海外要員が不足しており渡りに船だった。

ところで第9話で書いた米軍横田基地から暇な奥さんを週一で講師に招くという英会話教室はこの時点でまだ続いていて、掘絵君ともよく横田基地の講師の自宅に行った記憶がある。この頃の先生は何と横田基地(空軍)のNo.2の奥さんで、基地内のレストランでは個室(特別室)に案内されそこには赤色の電話器があった。先生は’これなんだと思う?’とクイズを出してきたが誰もわからず’正解は大統領とのホットライン専用電話よ’と言われたまげた。また’UFOは実在するのは空軍の中では常識よ’という発言にもたまげた。戦闘機とか乗っているとUFOに遭遇する事があるらしい。ちなみにこれらは2000年頃のエピソードだ。

さて掘絵君はというと彼の希望通り2002年から欧州(橋本UK)に駐在となった。また、偶然にもちょうどその頃MAGNAがツバキにコンタクトしてきたのだ。トランスファーケースメーカーとしてバルグはMAGNAのライバルメーカーであり、その重要部品であるチェーン自身をバルグからしか買えないというのは競争力が無くなり大問題だったらしい。しかし前話の話などで橋本知恵院がパワードライブチェーンの特許を数多く出願しているのに気づいてコンタクトしてきたらしい。ここから得意分野のパワードライブ技術を持つホリエモンとマグナの密接な関係が出来上がっていく訳だが、なんと橋本UKの最寄空港バーミグハムとMAGNA開発本拠地オーストリアGRAZ間の直行便(しかもLCCで片道30~50€くらい)も出来たのだ。この辺りの出来事は神風が吹いたとしか思えない。

この後量産スタートは2006年と4年かかっているので、そのあたりの話はもう少し後のブログに書こうと思っている。