嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第40話: ジャガー受注と欧州攻略

欧州出張のついでに行ったスイス登山鉄道

日米の動弁機構への使用率はチェーンの大勝が決定的になった2000年前後だが、欧州は高級ブランド(ベンツ,BMW,サーブ等)以外はまだベルトが主流だった。これは欧州ではクルマを長く乗り続ける=十万km以上はあたりまえで数十万kmも稀ではないという文化の中、メンテナンスは当たり前にやるのでついでにタイミングベルトも交換するという事だったらしい。現在でもVWの小排気量車を中心にベルト車は結構生き残っている。しかしそれでも補機類の増加や衝突対策の構造でエンジンルームのスペースが限られチェーンが主流になってきている。(チェーンの方が圧倒的にエンジン長さが短く横置車=FF車では特に有利だ)

橋本知恵院の欧州自動車ビジネス上はSAABへの売上がメインだったがそのSAABがGMに吸収されOPELのエンジンを使うようになっていったので苦しかった。もちろんトヨタ、日産、ホンダ等日系顧客の現地生産が増えていったのである程度はカバー出来たが欧州拠点顧客は無くなりそうだった。そこに舞い込んできたのはあの高級ブランドジャガーからのV8エンジンへのサイレントチェーンとそれに付随するシステム採用の話だった。

主に日産向けに開発した橋本知恵院のサイレントチェーンだったが、他社にも拡販しようと恭作の師匠荻野谷さん達が仕掛けた中の最大の獲物だった。(マツダデミオの2代目用ZJエンジンにもこの時期橋本製サイレントチェーンが採用になった)ちょうどDS課が立ち上がった頃でこのジャガーマツダの案件は恭作が主担当で行った。

このジャガーV8エンジンはAJシリーズという名前で1997年から発売されたが当初は他社(多分リノルド)の06B級ローラチェーンシステムだった。ただ騒音が大きいという評価でジャガーは何とか静かなチェーンシステムにしたいと思っていた所に橋本知恵院の情報が(多分提携していた米フォードから/その頃現US社長のDANがFORDに技術駐在していた影響もあると思う)上手く流れた様だ。橋本知恵院製にチェーンシステムが切り替わったのは2002年頃だったので比較的スムーズに開発は進んだ。CSE(いわゆる動的チェーン張力測定)がらみで何回出張したか覚えていないほど訪問したが工場内売店ジャガーブランドのグッズを安価で買う事が出来たのは良い思い出だ。

今から考えるとトヨタや日産は立ち上がり前後だった頃で開発としては一段落していたが、ホンダや韓国プロジェクト等開発真っ最中の案件を抱えながら欧州出張を度々していたのだから相当忙しかったんだろうと思うが、この頃は色々と楽しかったという思い出しか無い。

欧州出張も第31話で書いた様に韓国プロジェクトでも行ったが、もちろんそれとセットでジャガーにも行っていた。但しジャガーのある英国はメシが不味く(中華とカレーはましだったが),食の思い出としてはイタリアとスイスがダントツに良かった。ドイツ系メーカーはまだiwisの牙城だったりベルトも強かったのでイタリアのFIAT系を狙って拡販に行ったのだが(スイスというのはFIAT系のトラックメーカーIVECOがあった)当時の欧州駐在の内打君がセッティングしてくれた。彼は語学の天才でオランダ語,ドイツ語、イタリア語はタクシーやレストランで使える位に話せたので、ディープなイタメシ屋に連れて行ってもらえた。それらのプロジェクトはどちらも受注は出来なかったがFIATの開発拠点のあるボローニャは今迄食べたイタメシの中で1番美味しかったし、スイスはついでにユングフラウヨッホ方面に行ってチーズフォンデュや世界最高峰鉄道を楽しんだ。一方でやはりイタリアは治安が悪く、不良少年達に囲まれそうになって必死に逃げた。これも欧州慣れしている内打君がいたからこそ危険を察知して逃げる事ができ、第11話の時のようにならずに済んだ。第9〜11話でも書いたが海外出張は楽しみも無くっちゃというのが恭作の考えだ。今はせちがないらしいが・・・