嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第66話:I’ll be back‼︎

3年間単身生活した京都のマンション横の二重の塔

2014年が始まってすぐの事だった。尾左社長から呼び出され今度は山王工場に帰任せよとの事だった。ようやく関西にも、一般産業ビジネスにも、京棚部工場の人達にも馴染んできて‘さあ、これから本格的にやりたい事やるぞ!’と思っていた時にだ。なんでも自動車がちょっと大変な事になっているとの事。戻ってもう一回立て直してくれといった内容だった。

何が大変なのかは詳しく聞けなかったので仲の良い人達から情報を得ると、要するに冨士原事業部長による3統括体制(技術=熊蔵、製造=宮字、営業=砂糖功)により横の連携が取れなくなっておかしくなっているとの事。具体例は生産技術は技術範囲なので熊蔵統括下、しかし製造に関する仕事もかなりあるのに、‘それは製造統括の仕事だからやるな’と熊蔵統括が製造支援業務を禁止したとの事。これには山王工場の製造部隊だけで無く、海外工場からもかなりのブーイングが出て、特に海外駐在員から尾左社長に直訴が入ったらしい。(社長クラスは海外拠点を良く訪問してるが、そういう情報取りも目的らしい)その他にも色々揉め事はあったらしいが、大体そんな組織がうまく行く訳が無い。その後行ったコンベヤ事業部でも似た様な事をやったらしいが上手くいかず、冨士原引退後は元に戻した様だ。

まあ、これで恭作を追い出した冨士原派閥は解体となり、A級戦犯の冨士原事業部長は隣のコンベヤ事業部へ、熊蔵役員は京棚部工場の技術開発センターへそれぞれ移動となった。(ちなみに冨士原はこの移動に対してかなりゴネて、移動するなら代表取締役との肩書きをくれ,嫌なら辞めると尾左社長に条件を出したらしい。それが一般人からは謎の代表取締役就任だ。辞めさせれば良かったのにと思ったのは恭作だけでは無い)

ここからまた山王工場の自動車事業部を恭作ワールドにする仕事が始まると気持ちを入れ替えた。とりあえずは移動の1ヶ月前位に下記のメールを現地人を含む海外の面々に送った。

I'll be back!!!

 Dear gentlemen.
I will be back to Automotive Division from this April as the division manager and CBO, 
while Mr.Fujiwara is going to go to Material-handling Division.
I am glad to do the business with you again.
I have gotten very good experience and power in PT division.
I think I can help you much more than before and you can help me either.
Please ready for 'Tony's operation'.
Best regards.