嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第68話:パワードライブの拡大とマグナ

マグナお気に入りの池袋の寿司屋

ポルシェカイエン,AudiQ7,VWトワレグの3兄弟

かなり後で聞いた話だが、冨士原が恭作を京棚部に追い出した頃、彼は利益が中々出ないパワードライブチェーンビジネスを辞めてしまいたかったらしい。しかし恭作はマグナとは契約こそしていないが戦略的パートナー(トランスファー機構としてマグナとしてはライバル会社のバルグワーナーからチェーンを買いたく無いし世界で他に橋本知恵院しか作れない)として友好的にやって行こうと実本社長ご存命の頃京都でマグナの営業責任者と実本社長を引き合わせたこともある位パワードライブ推進派だった。(この時、実は祇園で舞妓さん、芸妓さんを呼んでお座敷天ぷらを予約していたのだが実本社長のNGを喰らい実現せず京都のホテル内の天ぷら屋にで普通に会食する事になってしまった。恭作にとって本来この時が舞妓さん芸妓さん遊びのデビューだった筈なのに。そんな事よりあれだけ夜遊び好きの実本さんがNGを出すとはよっぽど精神的に病んでいたんだろう。詳しくは裏の裏ブログで)その後マグナの営業上層部とは良い関係を継続していて、池袋の西武デパートの8Fにある築地の寿司屋(写真参照:銀座の高級店レベルの味で価格はその割にリーズナブル)で毎年の様に接待していた。

幸い恭作が山王工場に帰任した頃、VW/AUDI/ポルシェの三兄弟SUVトランスファーケースチェーン(ピッチ11mm位)をマグナから受注量産出来、BMW向けと合わせてパワードライブチェーンビジネスは自動車の大きな柱となった。しかし許せないのは冨士原が辞めようとしていたパワードライブビジネスがうまく行きだした後、恭作が京棚部に行って不在の時期に’恭作がパワードライブチェーンを辞めようとしていた’と話がすり替わっていた事だ。裏の裏ブログで暴露中だが恭作の知らない所でこれに関しても恭作を蹴落とそうとしていた輩が存在していた事になる。

今や欧州マグナだけで無く北米マグナからも引き合いや受注を多数いただいていて、第38話に書いた様に1995年位から北米SUVトランスファーケースチェーンに関わっていた恭作にとってそれが実現した事は嬉しい限りである。EVのEアスクルを追うのも良いが、それよりも既存ビジネスを伸ばした方がパワードライブビジネスにとってここ10~20年はよっぽど良いんじゃないかと思う。これはタイミングチェーンシステムにも言える事だ。