嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第70話:チェコ工場新設

チェコ工場建設前 奥に見えるのがトヨタの工場

プラハ市内 モルダウ川とプラハ

コリン市長室の恭作(契約時)

 

前々から欧州に本格的製造拠点を大陸側で持ちたいと言う計画はあったが、リーマンショックやらその後の恭作の京棚部転勤などで話は進んでいなかった。これも恭作が自動車に帰った途端に検討が開始された。(いったい前任者は何してたんだ?)

場所(国)の大まかな検討はBART(橋本UKの社長)により済んでいて、人件費やらアクセスやら国民性やらでチェコに狙いは絞ってあった。のでこれも2014年の9月に土地の候補を数ヶ所巡る出張に出かけた。海外子会社工場建設に何箇所も関わると分かるのだが、日本人駐在員の重要性とその人達の為の生活環境はかなりの優先度上位項目だ。その時に回った候補地の中でプラハから通勤可能なコリン市は随一の日本人駐在員にとって良い環境だったし、トヨタの工場が隣でユーティリティ(電気、水道等)整備もちゃんとしていたので迷わずそこに決めた。ちなみにプラハクラシック音楽の聖地でもあり、その他観光スポットも多く欧州各地から観光客が数多く訪れていた。写真に写っている橋の上ではバイオリンや管楽器を奏でるストリートミュージシャンも多く、観光も含めて出張者にも抜群の環境だと思った。この時一緒に旅したのは内打君、BART,通訳として橋本UK品証のペトラ(チェコ出身)だったがBARTとペトラは後に結婚した。ペトラにはチェコ新会社のかなり上層部就任をオファーしたが固辞されてしまった。せっかく地元に錦を飾れるのにと思ったがそういう事か!ということはこの時は既に・・・?(詳しくは裏の裏ブログで)

工場建設は急ピッチで事は運び約一年後の2015年秋に竣工しているが、主席駐在員=社長選びは二転三転色々あった。元々は内打君を社長に置きたかったのだが彼は欧州駐在を既に長い事やっていたので今度はアジアに行きたいという本人希望もあり、ちょうど任期を迎えそうな二代目早史社長の次のタイ社長にという事でまとまりかけていた。そしてチェコは製造主体の会社という事で英語は出来ないが井之上君が候補となった。しかし新しく会社を設立するにあたり地元コリン市との付き合いや手続き、橋本ヨーロッパとのやりとり(チェコ工場は橋本ヨーロッパの子会社という位置でその社長は現地人のFRANKで日本語は話せない)がMUSTで実務上井之上君は無理というクレームが欧州側から出た。恭作もその意見に納得して内打君が社長という結論になった。内打君はちょうど再婚した所で、奥さんの希望もタイよりチェコだった事もあり本人も納得した。(この奥さんはチェコでブログを立上げ、観光にも詳しくて出張時大変お世話になった)

井之上君にはタイ社長という選択肢もあったがちょうど空が出た技術部長になってもらった。この人事は決定した恭作本人もちょっと疑問に思っているが他に適材がいなかったのでしょうがない。タイの早史さんの任期は更に延長になりトータル10年間頑張ってもらうことになってしまった。