嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第9話:事業部暗黒時代からの大逆転神風-その2:初めての海外出張1


その頃サーブには欧州子会社橋本ヨーロッパ(一般残業系商社)を通して動弁機構用チェーンを単品納入していたのだが、その関係でSAAB9000用の新しいエンジンの開発依頼が来た。06Eを使った動弁機構なのだが2次バランサーシステムがついていて当時三菱の2000ccクラスギャランΣに使われていた橋本知恵院の実績が買われたらしい。その他にも鉄系動弁機構の引き合いがあったり、また当時ゴムベルトで提携していたイタリアのビレリー社にも寄っていくという事になり、このブログでもヤンチャ上司として登場した技術部長の太門さんがスウェーデンを初めとした欧州各国まで出張することになった(太門さんは当時の事業部幹部職では唯一英語が出来る人だった)が、誰かカバン持ちとして担当技術者を連れて行こうということになり、当時横田基地から軍人の奥さんを週1で呼んでやっていた英会話教室で頑張っていた恭作にその役目が回ってきた。今思うと太門さんの英語力は大した事なかったがコミュニケーション力は凄く適当な英語でもほぼ伝わっていたというもので、当時まだTOEICシステムすら導入していなかった橋本知恵院の若造からしたら憧れの存在だった。

1983年頃だが当時海外出張する事自身が海外事業部以外では非常に珍しくその待遇もすごかった。飛行機は平社員とでも往復ビジネスクラス、支度金(スーツケースなどを買う資金)に数万円、寮から太門さん宅を経由して成田空港までタクシー移動という今では役員以外あり得ない待遇だった。まだ米ソ間の冷戦の最中でロシア上空を飛べ無いので欧州に向かう直行便は無く、アンカレッジ経由デンマーク一泊乗り換えでスウェーデンに移動した。デンマークの首都コペンハーゲンでは航空会社SASがと用意してくれた高級ホテルに無料で泊まったが、当時フリーセックスの国として有名だっただけあってプールでは全裸の金髪美女が普通に泳いでいたのが忘れられない。でもこの衝撃はこの旅で度重なり起こる〇〇系の事件の単なる序章だった。-続く-