嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第27話:帰任

恭作お気に入りだったブルSSS

1996年4月恭作は帰任した。この頃は帰国途中にハワイ等経由地に寄って行く事が許された(赴任ご苦労様の意味もあったのだろう)のでホノルルに数日滞在してから帰国した。飛行機賃は変わらないし、宿泊費などは自腹を切るので良い制度だったと思うのだが、事業そのもの、ましては海外赴任の大変さ等知らない本社人事の連中の頭の中はそういう事はいっさい受け付けないのだろう。そのうちに海外事業部解散後禁止になった。そう考えると実質海外事業部(海外赴任経験者や候補者が多い)がそういう事も仕切っていたシステムは良かったし、海外人事系だけでも海外事業部みたいな組織を復活して欲しいものだ。

ホノルルはその頃でも日本そのもので英語を話す必要がほぼ無いし、1番覚えているのはラーメンの美味しさだ。ただ普通に街中で’マーリファーナ吸―わなーい?’と声をかけてくる現地人の輩(まるでアクセサリーとでも売ってる様に路地にマリファナ店を広げていた)がいたのはびっくりした。当然街を歩いている5割以上は日本人だし、日本とのギャップ(カルチャーショック)を埋めるという意味でも良い帰国へのワンクッションだった。

帰国後まず車を買わなくてはならなかったが、赴任時に新車半年で手放さざるを得なかったブルーバードSSSを買い戻したかった。それ位気に入っていたのだがすぐには見つからず、すぐ手に入るパルサーの新古車を仕方なく買った。どちらも当時日産車しか使ってなかったチェーン式動弁機構のエンジンで、そこは譲れなかった。さて十分にリフレッシュして意気揚々と山王工場に帰ってみると、技術部はわずか3年しか経っていないのに結構知らない人が増えていた。新人の他、工場内別事業部からの移籍組も数人いた。ベルト式動弁機構最後のあがきでベルト系の仕事で増員したみたいだが、チェーン系技術部隊の組織は酷いことになっていた。