嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第44話:ティーノハイブリッド

日産ティーノハイブリッド

ハイブリッドカーと言えばプリウスだがその初代が発売されたのは1997年だ。その頃まだゴーン氏(ルノー)に支配されていなかった日産(技術的に健全だった)は急遽プリウスベンチマークして当時人気車だったティーノに載せようと計画した。そのシステムに橋本知恵院のサイレントチェーンを使いたいとの事で恭作は日産に呼び出された。ティーノハイブリッド担当の責任者Wさん(確か第11話で登場したローマで恭作と同じ手口の詐欺に引っ掛かった設計課長だ)はトヨタのTHSシステムを非常に良く分析していて、トヨタで言うMG1という発電専用モーターをサイレントしチェーンで駆動したいという内容の依頼だった。ハイブリッドカーを20年計4台乗り継いだ今なら理解できるが当時は例の遊星ギヤの使われ方も未知だった恭作にWさんはMG1モーターの機能と重要性を丁寧に説明してくれた。このMG1駆動には動弁機構用サイレントチェーンを幅広くしたもの(09W→13W)を開発し採用してもらい、クルマとしては2000年にティーノハイブリッドとして発売された。

橋本知恵院としてはそれから20年以上経ってからエネドライブチェーンとして受注に躍起になっているが(恭作自身の反省も含めて)’おせーよ!2000年に販売してたじゃねーかよ!’と言いたい。ティーノハイブリッドはネット販売限定100台程度だったので試乗できなかったが、開発の時のWさんの話や日産実験室で生で見た印象からするとCVTと2モーターシステムを使ったフルハイブリッドでトヨタTHSシステムに迫るものだった。開発を完了させた1999年に技術的にはTHSに追いついていたのだからこのハイブリッドカー開発を日産が続けていればそれから20年以上経っている現在でハイブリッド技術はトヨタの独走になっていなかっただろう。しかし1999年にゴーン氏が日産に乗り込んできてゴーン改革策として村山工場閉鎖に代表される製造面カットや技術開発の大幅削減を行った。そもちろんこのハイブリッドカー開発も中止になり大幅にトヨタに遅れをとる事になった。何年かして慌てて開発したマイルドハイブリッドや1モータ2クラッチのフルハイブリッドは不評で現在ではe-powerだけに頼っている。(e-powerは街乗りでは良いが高速に弱くトヨタTHS,ルノーe-tech,ホンダe:HEVにかなわない)

このゴーン氏による技術開発縮小はハイブリッドカーだけで無くその他のクルマも悪影響を及ぼし魅力が無くなり日産車の販売がガタ落ちしたのは周知の事実だ。(恭作も2003年まで日産車を3台乗り継いできたが、その後トヨタTHS3台,ルノーe-techと乗り継いでいる)例の私的使い込みだけで無くゴーン氏が日産に与えた損害は計り知れない。