嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第50話:アジア進出(タイ編)

パタヤの〇〇系ストリート

話は一年遡るが第36話で触れた様に2002年に橋本タイが設立され、初代社長に小宮間さんが就任した。(ちょうどこの直後位に上海初代総経理の加東さんや二代目タイ社長の早史さんも自動車事業部に転籍して来た)

恭作はタイ設立時はまだ技術部長だったし、あくまでトヨタをメイン顧客とした製造拠点だったので設立時はあまり関与していなかった。製品技術的な仕事はまだ無く行きたかったが口実が無かったので行けず、初めてタイに出張したのはその数年後に第二工場を増設(購入)してからだった。この時は役員だったがグローバルマーケティング部長を兼任してたので大手を振って出かける事ができた。色々羨ましい噂は聞いていた(仕事以外も含めて)が、その通りだった。例えばトヨタの偉い方と接待ゴルフをして、その帰りにタイ式マッサージで1時間以上体をほぐし、夜の食事会にと行くという極楽パターンだ。タイ料理は辛いが恭作の好きな3大料理(日,伊,泰)の一つで、気候や対日感情を含めて老後移住したい国No.1だ。もちろん〇〇系の店とかも数多くあり初期の駐在員だった青太君や四ツ橋君にはカラオケ系とか金魚鉢系とか教えてもらった。小宮間さんには欧州生活経験のある彼だからこそ?の西洋人向けポールダンスの店に連れて行ってもらった事も印象的だ。その後そういう西洋人の遊ぶ所に行った事はバンコクでは無い。(かなり最近の話でダイハツの駐在のK崎さんがパタヤに住んでいてその方の接待でパタヤに行った事があるが、逆に2次会はその方に有名な〇〇系ストリートを案内してもらいそこは西洋系の店が多かった。印象は「ここは本当に地球か⁇?あり得ねー❗️」位ディープで強烈だった。)

タイの製品技術的な話が増えたのは2009年頃早史さんが社長になって筒美さんを営業技術担当駐在に呼んでからだ。この早史―筒美コンビはゴルフ1000回という伝説を作ったが仕事上もそれをうまく利用して営業・技術的に客先との関係を強固にした。小宮間さんを含めてこの3人のタイでの功績は大きい。2014年以降は恭作がタイ担当役員になったので、そこからの時代(早史さん、筒美さん、飲口君)の出張回数が多いが、その話はかなり最近の話になってしまうので上のパタヤの話だけでやめておこう。