嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

第64話: 焼結ブシュ内製化

ラムダチェーン

飲みに行って遊んでばかりいる話が続いて’何だよ、京棚部単身赴任って遊んでばかりじゃねーかよ’という声が聞こえてきそうなので、今回は真面目な仕事の話を書こう。

焼結金属のスプロケットやブシュ等の製造は元々山王工場でやっていた。4輪エンジンのクランクスプロケット、二輪エンジンのカムスプロケット、ベルト用プーリー、そして京棚部工場が作るラムダチェーン用ブシュが主な商品だ。しかし4輪エンジン用スプロケット群は一回ベルト化した為に自然減少、ベルト用プーリーは一般産業用が主体で鳴かず飛ばず、という事でちょうど恭作が役員になった頃、岡山の住電に設備を売却、必要なモノは住電から購入するというスタイルに変更になった。自動車事業部としてはそれで正解だった(焼結工場はサイレントチェーン工場に生まれ変わった)のだが京棚部工場としては人気のラムダチェーンの性能を左右する焼結ブシュが内製出来ず自由に開発できないのは悩みの種だった。

元々新入社員実習の時に焼結ブシュの成形は任されていてそこそこの知見もあった恭作は、京棚部唯一で随一の焼結専門家近道君の熱意に感動して京棚部工場内に焼結ラインを引く事にした。それには大きな3つの問題があった。1つ目は金、2つ目は場所、3つ目は製造技術ノウハウだった。金は幸い京棚部はもっと投資すべきという社長意見に乗って恭作が解決、場所は製造の面々が熱処理スペースを上手く空けてくれて解決、最後の製造ノウハウは近道君の頑張りで見事に立ち上げた。単身赴任の3年間の後半1年半位の期間でブレンド-成形-焼結-含油の全自動ラインを立ち上げた凄さには感服する。(しかし近道君は最近ガンで逝去されてしまった。心よりご冥福をお祈りする。)おかげでラムダチェーンはコストも下がり且つ開発.・改良もうまくできる様になり、今でも人気のチェーンとして活躍している。