嶋恭作の裏45年史

この話はフィクションであり登場人物とエピソードは全て架空のものです

#タイミングチェーン#カムチェーン

第37話:HWTCとキャプテンモルガン

冨士原さんお気に入り?のキャプテンモルガン 恭作が帰任して数年後(DS課長時代)からHWTC(ハシモトWorld Technical Conference)という世界技術会議が始まった。この頃はまだタイにも中国にも子会社を設立していなかったが、北米-欧州間ではOPEL-GM, JAGUAR-F…

第36話:あの頃のみんな(1990年代後半~2000年代初期)

あの頃恭作が必ず新谷君とカラオケしていたラブマシーン 恭作が帰国してから6〜7年はベルト→チェーンの激動期でこの30年近くの戦争?(オセロゲーム)はチェーンの逆転勝利が決定的になった時期だった訳だが、あの頃その後偉くなった人達とかは何をしていたん…

第35話:ホンダのチェーン化(その2)

ホンダ初のチェーン採用量産エンジンK20A搭載車ストリーム(2000年発売) N氏の代わりに動弁機構開発担当になったのはI氏である。この方はN氏とは打って変わってとてもリーズナブルで物分かりの良い方だった。(今やホンダの役員である)1997年に発売された初代…

第34話:ホンダのチェーン化(その1)

ホンダのチェーン化第一号S2000(1999年発売) 欧州での動弁機構へのタイミングベルトの採用はメジャーなクルマでは1969年頃からフィアットが、1973年頃からVWが行ったのが始まりの様だが、日本では1972年にホンダがライフとシビックに採用したのが始まりだ。…

第33話:サイレントチェーンの開発と受注(今回は真面目な技術話)

橋本知恵院製初のサイレントチェーン採用の日産サニー 話は少しさかのぼるが、ちょうど恭作がアメリカに赴任した頃から各カーメーカーでサイレントチェーンをタイミングシステムに採用しようという動きが出ていた。バイク好きならその静かさは承知していたの…

第32話:韓国プロジェクト(その2)

世にも珍しい大宇の直6横置きエンジン搭載のMagnus リンさんが交通事故で重傷を負って入院している頃、朝立君は担当を外される直前の韓国出張時にお見舞いに行ったそうだ。その時の話ではとても歩ける様にはならないだろうという悲観的ものだった。このお見…

第31話:韓国プロジェクト(その1)

ミュンヘンのビール祭りOctober Fest.. 韓国プロジェクトがスタートしたのは恭作が帰任した1996年の事だった。橋本韓国の現地人代表理事リンさんがまだ成林機械という現代自動車の1次サプライヤーの役員をやっている頃だ。現代自動車に強い人脈を持つリンさ…

第28話:タコな組織

トヨタ量産車チェーン化第一号1ZZ搭載のビスタ 1996年頃動弁機構のチェーン化は順調に進んでいたが、(トヨタはこの頃動弁機構のチェーン化を本格的に進めていて1997年発売の初代プリウスNZエンジンを皮切りに1998年にZZ,2000年にAZと主流4気筒エンジンを次々…

第27話:帰任

恭作お気に入りだったブルSSS 1996年4月恭作は帰任した。この頃は帰国途中にハワイ等経由地に寄って行く事が許された(赴任ご苦労様の意味もあったのだろう)のでホノルルに数日滞在してから帰国した。飛行機賃は変わらないし、宿泊費などは自腹を切るので良い…

第26話:Richとバイクとマッスルカー

ダッジチャレンジャーとハーレーVR1000 恭介より3~4歳若いRichだが数年前に完全リタイアしている。そのRichから恭介のある送別会にビデオレターが届いた。それによると元々趣味だったバイク(30年位し前に手に入れたドカティ750F1はまだ乗ってるとの事)に加え…

第25話:悲喜交々の北米駐在員生活-4

ストリップ小屋アンソニー ボリヨーク、チコピー域は田舎だ。牧場も多いので日本で言えば北海道のそれも都市部で無い所と言った感じだ。11月から3月いっぱいの5ヶ月間は雪に閉ざされつまらないが、4~10月はゴルフ、BBQなどアウトドア天国だ。ただ、モールな…

第24話:あの頃のみんな(1990年代中盤)

Richと欧州駐在の内打君を仕事で訪ねた そう言えばこの頃、その後自動車で活躍した人は何をしてたんだろう? タイの社長だった小宮山さん、林さんはそれぞれ欧州、カナダ+シンガポール駐在を経て海外事業部にいた。自動車統括にまでなった砂糖功君も一般産…

第23話:悲喜交々の北米駐在員生活-3

月1のカラオケ集会@南の館 この頃は山王の自動車事業部も関西の一般産業事業部も北米現地化の山場で両事業部からボリヨーク工場にそれぞれ5~6家族、計10~12家族が駐在していた。自動車の主席駐在員はデトロイトから移動してきた小宮崎さん、関西からの主席…

第22話:悲喜交々の北米駐在員生活-2

月1行ってたBOSTONの日本食材スーパー 昼食をどうするかは駐在員にてとって一つの課題だった。’たまには良いが、毎日の様に日本人同士でランチに行くと現地人とのコミュニケーションもおろそかになるし、せっかくアメリカに来てても英語が上達しない’そうア…

第21話:悲喜交々の北米駐在員生活-1

社有車カプリス まず赴任に際し、日本人のファーストネームはアメリカ人にとって覚えにくいし、発音しにくいので、何かニックネームを付けろと海外事業部の人間から言われた。当時憧れのプロゴルファーだった中嶋常幸がアメリカでトミー中嶋で通用していたの…

第20話:チェーン化大逆転劇~海外カーメーカー編4(北米-3)

PV6搭載のOldsmobile AURORA GMの2大プロジェクトがアメリカ現地化を含めて量産化していった1990〜93年頃はそろそろトヨタなど国内カーメーカーも本格的にチェーン化の計画が進みはじめていて、山王工場の技術部は大忙しだった。ベルト一辺倒だった人員配分…

第19話:チェーン化大逆転劇~海外カーメーカー編3(北米-2)

世界初05Eチェーン動弁システム採用のキャデラック(ノーススター) サターン、ノーススターの量産化が決まり、設計面では仕様の煮詰め、製造面ではボリヨーク工場でのチェーンの製造現地化が準備に大忙しとなった。一方で日産のチェーン化も真っ盛りの時期で…

第18話:チェーン化大逆転劇~海外カーメーカー編2(北米-1)

1990年発売の初代サターン SAABの開発が一段落した1985~6年頃、いきなりUS橋元を通してアメリカGMのサターンプロジェクト(1900ccの当時北米で人気だったカローラやサニー(=セントラ)に対抗するクルマをエンジンから開発していこうという日本車迎撃のプロジェ…

第17話:度重なるV6エンジンの失敗とそこから生まれたテンショナ特許

マツダのチェーン回帰第一号プロシード 欧州プロジェクトであった独フォードV6失敗の件は前に書いたが、その後同じ理由で立て続けに2つのV6エンジンを失注している。その1つがマツダV6だ。1989年に発売されたユーノス500(1800cc V6という珍しいエンジン)用V…

第15話:チェーン化大逆転劇~海外カーメーカー編1(欧州)

昭和の英会話教材セット 前にも書いた通り国内のチェーン化は日産が1984年頃から開発を始めたと思うが、海外メーカー(特に欧州)はベルト化しなかった所があり、そのうちの1つが恭作はじめての海外出張編で登場したSAABだ。1983年が初出張でそこから年に数回…

第14話:バブル時代と動弁機構チェーン化への大逆転劇

バブル期のお立ち台お姉さん バブル期のOLファッション バブル期は1985年頃から崩壊の始まった1991年頃までを言うらしいが、この頃同時に動弁機構再変革(ベルト→チェーン)の流れが水面下で急速に来ていた。恭作自身は1987年に結婚して仕事もその大変革の中枢…

第13話:橋本知恵院は急成長チャンス逃した?

サイレントチェーン使用のCB750F 二輪エンジンの動弁機構はちょうど恭作が入社した1978年頃一大変革していた。4輪の様にゴムベルトは使わなかったが、ブシュチェーンからサイレントチェーンに変わっていったのだ。恭作もバイクに乗っていたので肌と耳で感じ…

第12話:事業部暗黒時代からの大逆転神風-その5

日産チェーン化回帰第一号トラッドサニー1987モデル 初めての海外出張後から大きな変化が訪れた。その出張の為恭作は3~4ヶ月毎に欧州出張する事になったり(2回目からは1人で),一方で日産では1984年頃からベルト耐久性不安からチェーンに全てのエンジンを戻す…

第11話:事業部暗黒時代からの大逆転神風-その4:初めての海外出張3

トレビの泉 その次に訪問したのはイタリアのビレリー社(タイヤで有名だが当時は動弁機構用ベルトもやっていた)だがこちらは恭作の専門外で太門さんのカバン持ちに徹したので仕事の話は覚えていない。ビレリーのベルト工場のあるペスカラという漁村で仕事を終…

第10話:事業部暗黒時代からの大逆転神風-その3:初めての海外出張2

SAAB9000 無事スウェーデン入りした恭作はSAABの仕事に予想以上の成果(SAAB9000-2.3Lのバランサーシステムの話で訪問したのだが、既にSAAB900-2L用にiwisが納めていた動弁チェーンとテンショナの話までいただいた。これらはB202,B232,B234という名のPJで1980…

第9話:事業部暗黒時代からの大逆転神風-その2:初めての海外出張1

その頃サーブには欧州子会社橋本ヨーロッパ(一般残業系商社)を通して動弁機構用チェーンを単品納入していたのだが、その関係でSAAB9000用の新しいエンジンの開発依頼が来た。06Eを使った動弁機構なのだが2次バランサーシステムがついていて当時三菱の2000cc…

第8話:事業部暗黒時代からの大逆転神風-その1:欧州製品のベンチマーク

G67チェーン搭載の初期ベンツ190E(2.0L) 1980年代初頭鉄製動弁機構の国産エンジン開発がゼロになりその設計開発担当者も4人になってしまった事は以前のブログに書いたが、その他にも事業部はリストラと節約の嵐だった。リカバリー8と言う標語は今でも記憶に…

第7話:自由気ままな寮生活―その3:私をスキーに連れてって

恭作がスキーをやり出したのは大学時代からで、苗場の民宿に住み込みバイトした事もある位はまっていた。スキーの腕前には多少自信があったのだが会社の寮に入ってその自信は消し飛んだ。当時北海道や東北地方出身の寮生が多いことでスキーのレベルたはかな…

第6話:自由気ままな寮生活―その2:クルマ編

寮生のクルマに関するエピソードは数多くあり、品証の大御所関川君のN360、技術部の古株管沢君の真っ赤なFFファミリア正丸峠全損事故や韓国駐在していた良野君のマークⅡ顔振峠正面衝突事故(これは恭作が助手席に同乗しており良野君は悪く無かったが)などいく…

第5話:自由気ままな寮生活―その1:酒編

寮の部屋飲みの主役サントリーホワイト取手付き瓶 恭作が寮に入って初めにお世話になった先輩は治工具係のフライス職人だった吉打さんだ。この人は週末ロックンローラーでとにかく変わった人だったが気が合った。仕事でこの治工具係からはキンシ君といじられ…