ロータスエリーゼ にも搭載されたZZエンジン 第28話や第33話に登場した記念すべきトヨタチェーン回帰第一号エンジンZZ(実際の発売は初代プリウス用NZの方がちょっと早いが開発経緯からするとZZが先)だが、発売数年後の2001年頃にチェーン伸びクレームの発生…
BMWから供給されたiwisチェーン搭載の欧州トヨタディーゼル車 マツダ2.2Lディーゼルのバランサー駆動チェーンシステム ディーゼルエンジンとチェーンの相性は良く無い。恭作が経験した量産エンジンのトラブルだけでも起亜バランサーシステム、日産YDタイミン…
日産ティーノハイブリッド ハイブリッドカーと言えばプリウスだがその初代が発売されたのは1997年だ。その頃まだゴーン氏(ルノー)に支配されていなかった日産(技術的に健全だった)は急遽プリウスをベンチマークして当時人気車だったティーノに載せようと計画…
iwisが受注したキャデラックCT6と橋本も一部受注しているHFV6搭載のカマロ 今回は協業がもし続いていたらというフィクションのストーリーを書いてみよう。(あれ?これ元々フィクションじゃ無いのかよ!?というツッコミが聞こえてきますがそこはご容赦を) そ…
Girgさんに乗せてもらったベンツSクラスV8ディーゼルターボ Iwisの思い出と言えばToddyさんだ。彼は橋本知恵院に対するiwis側窓口役だったのでドイツ(ミュンヘン)では色々と世話になった。基本的にビールとソーセージ以外は美味しい物がないというイメージの…
欧州でシステム納入していたジャガーXJ V8 欧州でサイレントチェーンを自動車エンジンに採用したのはおそらく前話で書いたジャガーV8が初めてではないかと思う。橋本知恵院も後で参入したAUDI/VWのEA888の初期発売(バルグワーナー製チェーン)が2008年頃なの…
欧州出張のついでに行ったスイス登山鉄道 日米の動弁機構への使用率はチェーンの大勝が決定的になった2000年前後だが、欧州は高級ブランド(ベンツ,BMW,サーブ等)以外はまだベルトが主流だった。これは欧州ではクルマを長く乗り続ける=十万km以上はあたりまえ…
米軍横田基地とホットライン電話器 第29話で書いた様に1997年頃関西技術のドンこと兼平さんが埼玉に単身赴任してきたのだが、それはパワードライブチェーンの開発を強化するというミッションだった。しかし第28話で書いた様にあまりに酷い組織だったのを見る…
幻となったオートマ用プライマリーチェーン どういう経緯でパワードライブ(いわゆる車軸の動力に関するチェーン)をやることになったかは恭作の担当外だったので定かではないが、CVT用のチェーンをやろうとした事は覚えている。日産やスバル辺りをターゲット…
冨士原さんお気に入り?のキャプテンモルガン 恭作が帰任して数年後(DS課長時代)からHWTC(ハシモトWorld Technical Conference)という世界技術会議が始まった。この頃はまだタイにも中国にも子会社を設立していなかったが、北米-欧州間ではOPEL-GM, JAGUAR-F…
あの頃恭作が必ず新谷君とカラオケしていたラブマシーン 恭作が帰国してから6〜7年はベルト→チェーンの激動期でこの30年近くの戦争?(オセロゲーム)はチェーンの逆転勝利が決定的になった時期だった訳だが、あの頃その後偉くなった人達とかは何をしていたん…
ホンダ初のチェーン採用量産エンジンK20A搭載車ストリーム(2000年発売) N氏の代わりに動弁機構開発担当になったのはI氏である。この方はN氏とは打って変わってとてもリーズナブルで物分かりの良い方だった。(今やホンダの役員である)1997年に発売された初代…
ホンダのチェーン化第一号S2000(1999年発売) 欧州での動弁機構へのタイミングベルトの採用はメジャーなクルマでは1969年頃からフィアットが、1973年頃からVWが行ったのが始まりの様だが、日本では1972年にホンダがライフとシビックに採用したのが始まりだ。…
橋本知恵院製初のサイレントチェーン採用の日産サニー 話は少しさかのぼるが、ちょうど恭作がアメリカに赴任した頃から各カーメーカーでサイレントチェーンをタイミングシステムに採用しようという動きが出ていた。バイク好きならその静かさは承知していたの…
世にも珍しい大宇の直6横置きエンジン搭載のMagnus リンさんが交通事故で重傷を負って入院している頃、朝立君は担当を外される直前の韓国出張時にお見舞いに行ったそうだ。その時の話ではとても歩ける様にはならないだろうという悲観的ものだった。このお見…
ミュンヘンのビール祭りOctober Fest.. 韓国プロジェクトがスタートしたのは恭作が帰任した1996年の事だった。橋本韓国の現地人代表理事リンさんがまだ成林機械という現代自動車の1次サプライヤーの役員をやっている頃だ。現代自動車に強い人脈を持つリンさ…
14代に次ぐ推し酒正雪と黒旗くんのグランビア 1990年代後半、トヨタ及び日産のチェーン化に加え、ホンダのチェーン化、韓国ビジネスのスタート、北米ビジネスの維持拡大、欧州拡大等ベルトvsチェーンのオセロ盤がひっくり返る真っ只中で無茶苦茶忙しかった一…
当時大ブレイク前でDS課飲会定番の十四代本丸 恭作が帰任して一年余り経ってから上層部に大きな組織変更があった。さすがにこのままではマズイと誰かが思ったのかは定かで無いが、これでタコな組織の雰囲気が一変した。恭作がアメリカ駐在時代にUS橋本(シカ…
トヨタ量産車チェーン化第一号1ZZ搭載のビスタ 1996年頃動弁機構のチェーン化は順調に進んでいたが、(トヨタはこの頃動弁機構のチェーン化を本格的に進めていて1997年発売の初代プリウスNZエンジンを皮切りに1998年にZZ,2000年にAZと主流4気筒エンジンを次々…
恭作お気に入りだったブルSSS 1996年4月恭作は帰任した。この頃は帰国途中にハワイ等経由地に寄って行く事が許された(赴任ご苦労様の意味もあったのだろう)のでホノルルに数日滞在してから帰国した。飛行機賃は変わらないし、宿泊費などは自腹を切るので良い…
ダッジチャレンジャーとハーレーVR1000 恭介より3~4歳若いRichだが数年前に完全リタイアしている。そのRichから恭介のある送別会にビデオレターが届いた。それによると元々趣味だったバイク(30年位し前に手に入れたドカティ750F1はまだ乗ってるとの事)に加え…
ストリップ小屋アンソニー ボリヨーク、チコピー域は田舎だ。牧場も多いので日本で言えば北海道のそれも都市部で無い所と言った感じだ。11月から3月いっぱいの5ヶ月間は雪に閉ざされつまらないが、4~10月はゴルフ、BBQなどアウトドア天国だ。ただ、モールな…
Richと欧州駐在の内打君を仕事で訪ねた そう言えばこの頃、その後自動車で活躍した人は何をしてたんだろう? タイの社長だった小宮山さん、林さんはそれぞれ欧州、カナダ+シンガポール駐在を経て海外事業部にいた。自動車統括にまでなった砂糖功君も一般産…
月1のカラオケ集会@南の館 この頃は山王の自動車事業部も関西の一般産業事業部も北米現地化の山場で両事業部からボリヨーク工場にそれぞれ5~6家族、計10~12家族が駐在していた。自動車の主席駐在員はデトロイトから移動してきた小宮崎さん、関西からの主席…
月1行ってたBOSTONの日本食材スーパー 昼食をどうするかは駐在員にてとって一つの課題だった。’たまには良いが、毎日の様に日本人同士でランチに行くと現地人とのコミュニケーションもおろそかになるし、せっかくアメリカに来てても英語が上達しない’そうア…
社有車カプリス まず赴任に際し、日本人のファーストネームはアメリカ人にとって覚えにくいし、発音しにくいので、何かニックネームを付けろと海外事業部の人間から言われた。当時憧れのプロゴルファーだった中嶋常幸がアメリカでトミー中嶋で通用していたの…
PV6搭載のOldsmobile AURORA GMの2大プロジェクトがアメリカ現地化を含めて量産化していった1990〜93年頃はそろそろトヨタなど国内カーメーカーも本格的にチェーン化の計画が進みはじめていて、山王工場の技術部は大忙しだった。ベルト一辺倒だった人員配分…
世界初05Eチェーン動弁システム採用のキャデラック(ノーススター) サターン、ノーススターの量産化が決まり、設計面では仕様の煮詰め、製造面ではボリヨーク工場でのチェーンの製造現地化が準備に大忙しとなった。一方で日産のチェーン化も真っ盛りの時期で…
1990年発売の初代サターン SAABの開発が一段落した1985~6年頃、いきなりUS橋元を通してアメリカGMのサターンプロジェクト(1900ccの当時北米で人気だったカローラやサニー(=セントラ)に対抗するクルマをエンジンから開発していこうという日本車迎撃のプロジェ…
マツダのチェーン回帰第一号プロシード 欧州プロジェクトであった独フォードV6失敗の件は前に書いたが、その後同じ理由で立て続けに2つのV6エンジンを失注している。その1つがマツダV6だ。1989年に発売されたユーノス500(1800cc V6という珍しいエンジン)用V…